鈴木愛子のオフィシャルブログ

ナヴァラートリ祭。

2015/10/17

カテゴリ: ヨガを旅する, 鈴木愛子のオフィシャルブログ

日本もすっかり秋めいてきましたね。

身体には「首」「手首」「足首」と、「首」の名を持つ部位があります。
寒い時は 「首」を暖めると身体があたたまるよー!と、言いますね!
日本語で言うと簡単ですが、英語だと「neck」「 wrist 」「ankle」 。
インド人に「首」を温めることの素晴らしさを伝えたい時、もどかしい思いをしたことがありました。

雨季が終わってもまだまだ暑い日が続くインドでは、今ちょうど「ナヴァラートリ」というお祭りが行われています。
「ナヴァ」は「9」「ラートリ」は「夜」。
9日間にわたる、インド全土でお祝いされているお祭りです。
このナヴァラートリの間は、3日間ずつ三人の女神様を祭ります。

9日間のうち
1,2,3日は、ドゥルガー
2,3,4日は、ラクシュミー
7,8,9日は、サラスワティ

最初にお祝いするのが、「ドゥルガー」
病やトラブルなど、私達を抑圧するものを全て取り払い、私達がスムーズにヨーガの道を歩めることを願います。

次に、「ラクシュミ」
私達の心や身体が健やかで、富と繁栄があるように、つまり、私達の努力が報われることを願います。

そして最後に「サラスワティ」
私達にとって何よりも大切な宝となる、「知性」と「智慧」を与えてくださるよう、願います。

全てのお祝いが開けた10日目を「ヴィジャヤ ダシャミ」といい、この日はラーマ神が、奥さんであるシーターをラークシャサ(魔神)から取り戻し、シュリランカからインドの地に戻ってきた日でもあります。

「ヴィジャヤ」とは、「勝利」
ここで象徴される勝利とは、私達が自分自身の「心」を収めた時。

3人の女神様が私達の成長を助けてくれるのです。

ナヴァラートリの期間、女性はいつもより綺麗なサリーを身につけ、各家庭では大量のお菓子が用意されています。
今インド人宅を訪れたら、美味しいマンマの手作りお菓子に出会えること間違いなし。

お祭りの多いインドでも、この9日間は、特別に華やかです。
(便乗してサリーやアクセサリーのセールも!)

知識の神様であるサラスワティを祝う最後の3日間(カレンダーだと20日、21日、22日)は、特に、何か新しいことを始めるのにふさわしい日。

今までやってみたかったけど始められなかったこと、是非これを機にスタートしてみてください!
サラスワティが応援してくれますよ♪

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ふさわしい人。

2015/09/20

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たくさんのインド人にとって、お寺へのお参りは毎日のこと。
私たち日本人が考えているより、もっと身近に、お寺や儀式の存在があります。
また、お寺にお参りするための、習慣化されているきちんとした作法があります。

最も基本的で大切なことは、「身をきれいにしてから行く」ということ!

インドの人たちは皆、毎朝必ずシャワーを浴び、髪も洗い、洗濯したての服を着ます。
夕方のお寺参りの前にも、シャワーを浴び、新しい服に着替えます。

こう言っちゃぁー失礼ですが、、、、
薄汚く見えるインド人、、、
実は、とーってもきれい好きなんです!

サンスクリットの言葉で、「アディカーリ」という言葉があります。
「アディカーリ」とは、準備が整えられている人のこと。

例えば、3歳の子どもに関数の勉強はまだ早いように、RYT500の資格を取るのに、まず200時間を終了しなければならないように。
どんなことでも、何かを行う前、受け取る前には、それにふさわしい準備をする、または準備が整っている状態でなければならない、とされています。

でもこれ、よーく考えてみると、当たり前のこと!
しかし私たちは、自分が何かをするのに、または受け取るのに「ふさわしいのか」を考えもせず、「欲しいから!」とあれこれチャレンジし、手に入れようとする。
その結果、たくさんの無駄な時間や労力を費やすことに。
または、手に入れることができても、それを使いこなせずに終わってしまうことになります。

例えば、お金の価値観が狂っている人が、大金を手に入れたとしても、善いことに使うことなく無駄遣いをしてしまうようなもの。
彼は、お金を受け取るための「アディカーリ」ではなかった、ということになります。

なので、全てにおいて、自分が「アディカーリ」かどうか?
を考えてみる必要があります。

神聖なお寺の門をくぐるのに「ふさわしい人(アディカーリ)」は、身も心も「清潔」である状態の人。
酔っ払った勢いで、明け方の神社にお参りしても、なーんのご利益も、ありませんよー!

(ギ、ギク。。。)

私は今でもインドでしていた時と同じように、髪を洗い、洗いたての服を着て、寺社や教会にお参りをします。

自分の担当のクラスがある日も、同じ。
クラスも私にとっては、とっても神聖な場所だからです。
祈りから始まって祈りで終わる、2時間のクラス。

「私の先生から受け取った大切なヨーガの知識が、生徒さんに少しでも伝わりますように!!!」

という私の願いが込められています!

そして、私たちが練習している、ヨーガ。
ヨーガをするということは「自分」というお寺の門を、くぐるのと同じ。

インドの伝統では、ヨーガや瞑想の前にも、きちんとシャワーを浴び、清潔な衣服をまとい、自分の成長を願う祈りの言葉を唱える。
自分がヨーガをするのにふさわしい状態で臨んでこそ初めて、ヨーガの「恩恵」を最大限に受け取ることができるのです。

ヨーガだけでなく、もちろん哲学の勉強も「アディカーリ」であることが求められます。
実は、哲学を勉強するには、伝統的に定められたいくつかの「条件」があるのですが、、
みんなの「準備」ができていようと、できていまいと、私はクラスの中で喋り続けます!

とにかくまずは、生徒さんの「知りたい!」という気持ちが湧くような授業であるように、心がけています。
ナゼかと言うと、勉強する為の「準備が整った人(アディカーリ)」の条件の一つ、

それは、、、

「知りたい!」と思う気持ち!!!!

ココがはっきりしていること、それが「勉強の準備ができている」人である、とヨーガの経典では言っています。

通っていれば、いつの間にか知識が身につく、インストラクターになれる、、、、
な~んてことは、絶対にありません!!

「知りたい!」この気持のみが、自分自身を前に進ませる。

お金も、恋人も、、仕事も、、、、
あっという間に失うことだってある。

「知識」だけは一度身についたら、失われることがなく、そして何よりも強いもの!

生徒さんが一生懸命勉強してるのを見て、私はいつも刺激を受け、励まされていますよー!!

あ

自分自身を大切にする理由。

2015/08/13

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インド人の美的感覚は、日本人のソレとはちょっと違います。

アクセサリーは必ず「金」!
「柄」on「柄」 は当たり前!

「シンプル」「モノトーン」という言葉は、彼らの辞書にはありません。

クリスマスでもないのに赤と緑とゴールドがマッチしてしまうのは、彼らがそれに負けない濃さを持っているからでしょうか。

映画は4時間!
コンサートも4時間!

「余韻」「引き際」という言葉も彼らの辞書にはありません。

「もし、これが1時間半のプログラムだったら、、、、、、、、、
もっと聞きたい、、、、って、、、思ったのに、、、、、、、、、、、」

4時間にも及ぶ、コッテコテの濃い~プログラムに「もう、二度とゴメンだわ!」というところまで追い込まれることも、しばしばありました。

日本人同士であっても「美的感覚」や「価値観」の違いを感じることはよくあること。

それが、外国人、しかもインド人ならなおさらです。

彼らの服装なんて、毎日見ているものなのに、

派手だなー。。。
なんでそんなにキラキラしてるのかなー。。。
その柄に、その柄合わせちゃうんだー。。。

何年住んでいても、私にとっては素朴なギモン。

その反面、段々と感化されて、なんだかその “コッテコテキラッキラ感” がたまらなく可愛いものだと思えてくる。

挙句の果てには、「これがグローバル・スタンダードなのでは? 」
とまで感じるようになり、サリーなどを日常的に着こなすようになったものでした。

しかし、「可愛いから」という理由で安易に真似をすることは、インドでは大変危険なこと!

ファッションのようで実は、意味があってしていることだったりするからです。

そもそも、よ~く見てみると、彼女たちのハデハデファッションは、神様たちのハデハデファッションとおんなじ。

サリーに身を包み、
頭には花飾り
眉間にはビンディ
耳にはイヤリング
鼻にはピアス
首にはネックレス
両手首にはバングル
両足首にはアンクレット

シーズン毎に流行はあるけれど、それはマイナーチェンジに過ぎません。

この「スタイル」から外れることは、今までも、、、そしてこれからも、、、
決して起こり得ないことなのです。

ではナゼ、神様たちにするのと同じ事ことをするのでしょうか???

前回のコラムの中で、「ヨーガとは、自分というお寺の門をくぐるようなもの」とお伝えしましたが、覚えていますか?

そう、この「私の身体や心」は、「寺」であり「神」そのもの。

神様たちがしていることを、自分の体にもしてあげるのは、「私自身の存在」もまた、愛情と敬意を示すべき「偉大な存在」だからです。

えーー!
こんな私がっ??

夏のムシムシした暑さで、爆発しそうな湿度計と化した髪を持つ私が?

シミ・ソバカスを気にしながらも、灼熱の太陽を求める私が??

ボーナスも夏休みもない私が???

・・・。

そうなんです。

そんな「私」が、です!!

大抵、私たちの、自分自身に対する自己評価って、とーっても低いもの。

自分を小さく見てしまう理由なんて、いくらでもある。

そして、そんな小さい自分に優しい言葉をかけてあげることなんて、ほとんどナイ。

「こんなことでめげていてはダメ」
「もっと頑張らないと」

友達には「大丈夫??」って言ってあげるのに、自分のこととなると、急に厳しくなってしまうものです。

今日やり残したことや明日の予定で頭いっぱいのまま眠りについたり、
化粧を落とす気力もないほど疲れ果ててしまったり、
ごはんを適当に買ったもので済ませてしまったり、、

「偉大な存在」のはずの私が、ひどい扱いを受けてるではないですかっ!?

これじゃぁいつまでも、自分の素晴らしさを知ることなんてできない。

ヨーガとは、自分を愛することの始まりです。

今まで、外の世界とつながりっぱなしだった「心」を自分自身に向けてあげる。

自分のために15分だけでも時間を作ってあげる。

心や身体のために、お供え物をするように、滋養のある食べ物を選び、味わってよく食べる。

シンプルで清潔なものを身につけてあげる。

最初は「形」から、かもしれないけれど、
大切にしているうちに、自分自身のこと、愛おしく思えてくるはずです。

インド人の身につけているアクセサリーは「22金」以上。
自分自身にオファーする(捧げる)ものであるから、安っぽいものはNG。

髪にはたくさんのジャスミンの花。
どんな高い香水よりも、贅沢なフレッシュな花の香り。
花を身につけると心から幸せな気分になる。
そして沢山の花を身につけた女性を見たら、誰もが思わず笑顔になる。

この、「オファーする」という気持を持って、自分にふさわしいものを選び、身に付けるということは、自分を取り繕ったり、背伸びしてよく見せるために厚化粧したり香水を振りまくのとはまったく違うもの。

何をもってして「自分を大切にする」ということなのか、、
自分自身を「ハッピー」に導くために本当に必要なものは何なのか、、

それを見極める心を作ってあげることができるのも、ヨーガの素晴らしさなのです。

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インド人に見習う、迷惑をかけて生きていくこと。

2015/07/09

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前回のコラムで、インド人の愛情表現から学んだ「ヨーガ」についてをお伝えしましたが、今日は、生き方のコツについて学んでみましょう。

あのカレーしか食べないインド人から、こんなにも学ぶことがあるなんて。。。
ちょっと悔しい気もしますね(笑)

「人に迷惑をかけないようにしましょう。」

私たち日本人は、そのようにして育てられてきたように思います。

一体、迷惑をかけるとはなんぞや?

車が通るところに自転車を置いたり、図書館の本をいつまでも返さないのはもちろん迷惑。
ここ日本では「私は道端にゴミを捨てません!」などというのは、宣言することでも、素晴らしいことでも何でもない、迷惑以前の常識の問題だと思います。

日本人って本当に、周りの環境や人に気を配れる素晴らしい人たちだなと、ゴミだらけのインドにいた私は思うのです。

ここで言う「人に迷惑をかけないようにしましょう」の「迷惑」とは、社会の調和を保つための共通の認識のこと。
しかし私たちは「迷惑」を自分の問題にまで延長してしまう傾向があります。

私がオーストラリアでライフセービングのトレーニングを受けていた時、トレーナーがこんなことを言っていました。

「日本人は自分が危険な状態にあるのに、遠慮してギリギリまで助けを求めない。
俺たちは助けるために待機しているのに!
自分で何とかしようとしないで、危ないなと思ったらすぐに助けを呼ぶべきだ。」

。。。分かりますね、迷惑をかけることを恐れる日本人の心理状態。

自分が本当に困っている時、なんとなく助けを求めづらい。
そう思うことはありませんか?

海外にいるとよく話題にのぼる、日本人の自殺率の高さ。

「日本はなんで自殺者が多いの?」

って、インドにいても、よく聞かれるんです。

「日本人は、あんたたちみたいに30も過ぎてプラプラしてる人が家族にいることは恥だから、大変なのよっ!!」

と、突っ込んではみたものの、決して自慢できないこの現実。

なぜ人は思いつめるのか。

「人に迷惑をかけてはいけない。」

その真面目さが始まりなのではないのでしょうか。

「相談したいけど、こんな夜遅くに電話したら、迷惑だろうな。」
「こんなことがあったけど、まず、自分一人でなんとかしてみよう。」

家族や友人など、相手が近い人であればあるほど、迷惑をかけたくない気持ちでいっぱいになりますね。

もし相談していたら、話しただけで気持ちが楽になっていたかもしれないし、根が深くならないうちに具体的な解決方法を提案してくれる人がいたかもしれない。
何より、ひとりぼっちにならない。
家族や友人だったら、それこそ心良く相談に乗ってくれるでしょう。

それはわかっているのに、相談できない!

楽しかったことやおめでたいことは簡単にシェアできるのに、自分の悩みを打ち明けられない。

実は、私もまさにそんなタイプだったのです。
長女なせいか、甘えベタで、小さい頃から家族にあまり相談ごとができなかった私は、弱いところを相手に見せてはいけないという、変な責任感にとりつかれていました。
精神的に、誰かの助けが必要だった時、どうやって人に相談していいかわかりませんでした。

家族に、「そろそろ将来のことを考えて」とでも言われたもんなら、「ひえー!30も過ぎて会社をやめ、結婚もせずプラプラしている私なんてきっと家族の恥!心配もかけてる!呆れてきっともう誰も助けてくれないんだ!もう迷惑かけられない!私一人でなんとかしなくちゃ。」と脳内変換が起こるのです。

そうしてたどり着いたのがインドのアシュラムなのですよ。

。。。ええ、私の話はいいんです。。。

ここインドは、「列に並ぶ」「ゴミを捨てない」「人前でゲップをしない」などの世界の人が普通にしていることが全く通じない別世界なのですが、悪いことばかりではなく、実は懐(ふところ)の深い一面もあるのです。

どうやら彼らは、

「あなたは人に迷惑をかけて生きていかなければならないのだから、人のことも受け入れてあげなさい。」

と教えられ育っているようなのです。

どうです?
だいぶ気持ちが楽になりませんか?

あなたは一人ではないし、あなたは誰も一人にはさせない。

日本人の「人に迷惑をかけてはいけない」という周りへの配慮は素晴らしいこと。
でも、実は、人に頼らなければならない人対して厳しい社会でもあるのです。

私は迷惑かけないから、あなたも迷惑をかけないで。

小さなことでも人に頼ることがとても悪いことのように思えてしまいます。
1回はいいけど、2回目だしな。。とか。
とても孤独になりやすいです。

その点インド人は、、、

混乱して夜中に電話をかけてくる。
帰ってくると誰か(もちろんインド人)が部屋入った形跡がある。
お前のものは俺のもの。
お前の時間は俺の時間。

日本人なら家族にも遠慮してできないようなことを、彼らには他人にも平気でできるのです。

でも、実際されてみると、たいして迷惑なことでもない。
自分のプライバシーへのこだわりを少し減らせばいいだけのこと。

そして相手を受け入れる器さえあれば、相手もまた、いつでも受け入れてくれる。
相手がズカズカと踏み込んできるというのは、逆に言うと、相手にもズカズカ入っていける。
つまり相談しやすい雰囲気でもあります。

もっと私の時間を使ってもいいよ。
もっと私のこと使ってもいいよ。

迷惑をかけないことよりも、相手を迷惑だと思わないで受け入れる環境。

抱えている問題は、問題として適切に処理しなければならない。
自分で解決できないときは、誰かに相談にすることは迷惑ではない。

でもその問題に「迷惑をかける」という別の問題を足して、抱え込んでしまう。
そして、
「こんなことで人に頼るべきでない。」
「私には頼る人がいない」
と、どんどん孤独になっていく。

人は一人では生きていけない。
分かりきったことなのに、プライバシーが重視されている今の時代には、人に頼ることはちょっとした勇気が必要です。

でも逆に、「私はいつでも助けになれますよ。」
そういうメッセージを周りに送り続けることで、お互いが手を差し伸べ合いやすい空気を生み出すことができるのでしょう。

この際、インド人を見習ってしまいましょう。
迷惑をかけて生きていくことを。

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