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ヨガ的コンプレックス解消法。

2016/01/31

カテゴリ: ヨガを旅する, 鈴木愛子のオフィシャルブログ

新しい年を迎えました。
最近髪を切って皆に褒められるので、一生この髪型で行こうかな、と思っているAikoです。

講師という仕事柄 、たくさんの方から「見られる」という経験をします。

「今日はなんか素敵ですね!」
「お化粧していますね!」
「眠そうですね!」
「疲れていますね!」
「2週間前、すごいオーラが出ていましたね!」

こうしてクラスを持つようになるまでは、自分が 「見られている」 という意識が全くありませんでした。
「見られていると思うなんて自意識過剰よ」とばかりに、髪にゴマ油を塗りたくり、スッピンですごし、乾燥したら顔にもゴマ油を塗っていました。

ヨガの人っぽい、といえばそうかもしれない?
だけど、ちょっと変えてみることに。

簡単に言うと、「日本人っぽく」してみました。
日本の「カワイイ」を知り尽くしているみんなが「いいね!」と言っていることは、積極的に取り入れるようにしたのです。
以前のインド人スタイルに、特にこだわりがあったわけではなかったので、取り入れることはそんなに難しいことではありませんでした。

この「見た目」。

たくさんの人が自分の「見た目」にコンプレックスを持っているような気がします。
小さいころに親や友人から言われた言葉、好きな人から言われた言葉。。。
目がもっと大きかったら、お肌がもっときれいだったら、、足がもっと細くて長かったら、、、
って思うかもしれないけれど、
もしそうだったとしても 「自分がカワイクナイ」 という自己評価を変えなければ、また新たな欠点を探し続けることになるだけ。

そんなつまらない自分とバイバイしたいですよね!

じゃぁ、どうやって・・・??

私は昔、「きれいだ」「カワイイ」と言われることがあっったとしても、すぐに「そんなことないし。」「きれいじゃないし。」と、心の中で全力で返していました。
それは、謙遜ではなく、自己嫌悪であり、勝手に起こる「ココロの癖」。
褒められれば褒められるほど、「本当の自分はそうじゃないのにー!」と、自信を失っていくのです。

めんどうくさいオンナですね!

ヨーガの生き方は、そんな「ココロの癖」と「おさらば」するための生き方なのです。

そもそも、なぜ私たちはコンプレックスを持ってしまうのでしょう??
それは、私達が、自分自身、または誰かが作り出した「美しさ」の基準と、自分を比べてしまっているから。
他人の評価を中心に、自分がその周りをグルグル回っているからなのです。

ヨーガの哲学は、そんなものに振り回されないための教え。
普遍的な“清く正しく美しく”あるための指標です。

たとえばヨーガの大切な教えの中に「シャウチャ」という言葉があります。
その意味は「清潔でいること」。
外側もですが、内側もです!

もし、コンプレックスを抱えている人がいたら、この「シャウチャ」を徹底してみましょう。

朝起きたら窓を開けて空気を入れ替える
朝シャワーを浴びる
毎日掃除をする
自炊をし、穀物と野菜を中心に、シンプルで滋養のあるものを食べる
洗ったばかりの服しか着ない
観葉植物や生花を飾る
笑顔でいることを心がける

自分なりにこうしておこう、ということを決めて、それを守ると、ブレない。
ちゃんと健やかであることを自分で決めて、心がけているのだから、キレイに見えてもしょうがない(?)のです!

もし、自分が嘘つきだったり、コンビニのご飯で済ませたり、毛皮製品などで身を包み、毎日ダラダラとすごしているのに、「キレイですね☆」って言われたとしたら、「そんなことないし」って潜在意識が真っ先に自分自身を否定するでしょう。

ただ、ただ、潔い生活を心がけるだけで、満たされ、自信がつき、自分を愛することができる。
人からの評価にダメージを受けなくなる。何を言われても、それを楽しめる様になる。
身体、言葉、心のアライメントを整えてあげる。

ヨーガとは「態度」。

それは、「こうありたい!」と願い、自分で自分自身を導いてあげること。
ありたいように振る舞うことは、自分に嘘をつくことではありません。

おっきい人になりたかったら、おっきい人がしているようにしてみる。
リラックスしたかったら、リラックスしている人がしているようにしてみる。
笑顔が素敵な人に会い心が明るくなったら、自分も笑顔で過ごしてみる。
素敵な言葉に癒やされたら、その言葉を誰かに使ってみる。

自分がなりたいような素敵な人と多く触れ合うことも、心を豊かにし、自分を愛することにつながっていくでしょう。

コンプレックスから解消されたい人は、騙されたと思ってぜひ、この「シャウチャ」を実践してみましょう!

写真は、インドのリシケシに行ってきたファーストシップ卒業生さんからのおみやげ。
ガンジス川の水です!

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松浦 弥太郎 「今日もていねいに。」

2016/01/12

カテゴリ: Makotoのオフィシャルブログ, ヨガを感じる本を読む

ヨガの講師という立場から「けがや病気など、身体になんらかの痛みがあって、ヨガの練習ができない時はどうしたらいいか?」という質問をよく受ける。ヨガの実践には瞑想や呼吸法も含まれるので、そういった時はそれらの練習をおすすめしているが、もうひとつおすすめしていることが、ていねいに日常生活を送ることや、大切な人とともに有意義な時間を過ごすことである。

哲学的な背景を持ち、長い歴史のあるヨガだが、現代に生きる私たちにとってヨガとは、もっと普遍的で生活に根ざしたものである。

ヨガの教典である「ヨガ・スートラ」では、私たちがていねいに生活を送ることができるようにガイドラインを示してくれている。ヨガの八支則(アシュタンガヨガ)と呼ばれる八つの実践的なプログラムがある。
Ⅰ:ヤマ:禁戒(日常生活で避けること)
Ⅱ:二ヤマ:歓戒(日常生活ですべきこと)
Ⅲ:アーサナ:座法(理想的で快適姿勢)
Ⅳ:プラナヤーマ:調気法(効果的な呼吸をしエネルギーを調整する)
Ⅴ:プラティヤーハラ:感覚器官の制御(五感を健全に保つ)
ⅵ:ダーラナ:集中(努力が伴う集中)
Ⅶ:ディヤーナ:瞑想(努力が伴わない集中)
Ⅷ:サマディ:三昧(集中している対象と調和し一体感を保つ)

一番目のステップと二番目のステップがちょうど、日常生活をていねいに送るためのガイドライン、すなわち案内である。

一番目のステップであるヤマ(すべきでないこと)は、自分と世界を繋ぐために、世界と良好な関係を築くために避けるべき事柄が五つラインナップされている。
1)あらゆる暴力的な言動を避ける
2)嘘を避け、真実を見つめて受け入れる
3)あらゆる物事を盗まない
4)エネルギーを無駄に浪費しない
5)あらゆる物事に執着しない

二番目のステップである二ヤマ(すべきこと)は、今ここにしっかりと存在し、自己を浄化するために行うべき事柄が五つラインナップされている。
1)外側と内側の清潔さを保つ
2)与えられた環境、現状を受け入れて感謝する
3)進化を続け変化をうけいれる
4)学び続けることで精神性を高める
5)行動の結果にとらわれずに身を委ねる

通常ヨガのスタジオでは三番目のアーサナ(ポーズ・座法)、四番目のプラナヤーマ(調気法)、七番目のディヤーナ(瞑想)を練習するので、一番目や二番目のステップに触れる機会はあまりないかもしれない。しかし、上記の実践の前提として自分自身の自立した生活の確立と、どうやって世界と関わっていくのか?その質が問われていると思う。

ヤマとは、自分が世界と上手く関わっていくために避けるべき五つの事柄である。二ヤマは自分自身と良好関係を築くために自己浄化として行うべき五つの事柄である。
ヤマ、二ヤマについて語られているヨガの哲学書はあるが、ここではヨガが生活に根ざしたもので、普遍的なメッセージであるという仮定のもとに、私たちの道徳や生活規範の側面にインスピレーションを与えるであろう、ある現代の作家のエッセイにそのヒントを紐解いていきたい。

松浦 弥太郎というエッセイストは、古書店「COW BOOK」オーナー雑誌「暮らしの手帖」元編集長、現在はクックパッドが運営するウェブメディア「くらしのきほん」の編集長であり、主に暮らしにまつわることについて提案する作家である。彼の作品で「今日もていねいに。」(PHP研究所)にという作品は「よく働き、よく暮らすための実用書」と掲げられている。

「よく働き、よく暮らす」とはまさしく、行動としてのヨガ(カルマヨガ)の規範だ。ヨガの世界では、生まれてきた今世での自分自身の真の課題に取り組むことが徳に繋がり、その課題を放棄することは不徳に繋がるとされている。インド古典文学を代表する一大叙情詩の「マハバーラタ」の中のひとつである、「バガヴァッド・ギーター」では主人公の戦士アルジュナが神様の代身であるクリシュナに、自身のタスクである敵と戦うことを放棄して、隠遁しヨガのメッセージを人々に伝えていきたいのだと懇願するが、クリシュナからはその申し出を却下されてしまう。そう、魂が意図したタスクを無視することは、神の逆鱗に触れ不徳に繋がるのである。

私たちもそれぞれの魂が計画した経験を存分に味わうために今ここに生まれてきた。それは、奇跡的ではあるが、偶然などではまったくなく、至極必然的である。

それぞれの課題に取り組む前に、またその経験を存分に味わい、学び、経験値を積んでいくには個人の生活が確立されている必要がある。そのために「ヨガ・スートラ」という経典では私たちが人生においてゴールに達することの助けとして八つのステップを記している。

その八つのステップである、アシュタンガヨガ・ヨガの八支則は、ドグマ(教義)として捉えることが多いが、実際は非常にシンプルでよりよく生きるための生活のガイドラインである。その出典元である「ヨガ・スートラ」は、人生という旅を成功させるためのガイドブックと言えるだろう。そして松浦弥太郎の著作である「今日もていねいに。」というエッセイもまた、人生をシンプルによりよく生きるための実用書なのである。

歴史的な古典である「ヨガ・スートラ」と現代の作家による随筆集である「今日もていねいに。」、この二冊には一見共通項がないように思われるが、私は根幹にあるコンセプトは全く同一であると思う。日常生活の繊細な部分一つ一つを丁重に扱うことで意識を今ここに置くという実践の繰り返し、つまりマインドフルに暮らすことを様々な角度から提案しているのが「今日もていねいに。」であり、さらに瞑想についての洞察を詳細に述べているのが「ヨガ・スートラ」といえるかもしれない。「今日もていねいに。」のコンテンツからも二つの書物の共通項がうかがえる。

「じんわりやさしく」では、親切とは相手の立場に寄り添ったものと結び、非暴力のコンセプトとリンクスする。「欲張らないルール」では、人に譲ることで本当に欲しいものが手に入るとし、執着を手放すことが推奨され、世界と自分とが繋がるために避けるべきことが示唆されている。

「清潔なたたずまい」では、世界に関わるすべての土台、人生の作法が、清潔感であり人として常に内側と外側の清潔さを保つとことを生きる上で必須とされる姿勢であるとしている。

「足りない病を治す」では、お金や時間がないとは禁句であり、何かの原因を他人に転化する不健全な行為であるとし、今与えられているものへの感謝に気づかされ、自己浄化が促される。

「今日もていねいに。」の最後のトピックス二つは、瞑想やサマディのコンセプトを示唆す内容になっている。

「無になる練習」ではリラックス法とし著者流の瞑想法、シャバーサナともいえるテクニックが紹介され、それを無になる練習と定義している。

「自分を無くす幸せ」では仏教やブッタのメッセージを引用しながらエゴと共に現実世界の営みを行いながらも、その先にはエゴを超えた精神的な世界が広く開けているのが幸せであると説き、このメッセージは「ヨガ・スートラ」のメッセージとリンクスする。

「そして長い人生をていねいに生きたいなら、今日この瞬間をていねい暮らすことです。」と最後にまとめられている。

「今からヨガを詳細に説く」と始まる「ヨガ・スートラ」の重要なメッセージに、今この瞬間にフォーカスをするということがある。一瞬一瞬の刹那を点の様に連続的に積み重ねることは、今日この瞬間をていねいに扱いそれを意識的に繰り返す営みであろう。

昨年を振り返り、今日という瞬間にキチンと意識を置けていただろうか?
繰り返される日々の中で、ていねいに日常を扱うことができていたであろうか?
ルーティーンに陥ることなく、今にフォーカスすることができていたであろうか?

今年もハタヨガや瞑想の実践を続けていく。

そしてよりよく生きるために、ていねいに毎日を過ごし、大切な人と共にかけがえのない時間を過ごしながら、過去でも未来でもなく、今ここを強烈に感じて生きていきたい。

※松浦弥太郎『今日もていねいに。』2008年 PHP研究所

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