Makotoのオフィシャルブログ

ありふれた日常に目を見張る力|高山なおみ「帰ってから、お腹がすいてもいいようにと思ったのだ。」

2017/02/09

カテゴリ: Makotoのオフィシャルブログ

「新幹線のサンドイッチは700円もしたのにぱさぱさしてちっともおいしくない。きっと今朝早く作ったやつだろう。
けど、残さずに食べた。
食べ終わってから売店がある車両にもう一度出かけて行って、うなぎ弁当とシュウマイを買った。
帰ってからお腹がすいてもいいようにとおもったのだ。」

高山 なおみ 料理家 文筆家

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今住んでいる街に越してきて、二年と半年少しの月日が過ぎ去りました。
仕事場であるヨガスクールから近すぎず、遠すぎもせずに丁度、電車で数駅先の街。どうせならば好きな街に住みたい。そして、その街は昔から地元の人が住んでいて、けれども閉鎖的ではなく、東京らしい伝統を感じさせながらも洗礼された街に住みたいなと思い、選んだのは神楽坂でした。しかし、最初の一年目は仕事が慌ただしく、基本は家と駅の往復をするばかりで、自宅は眠ることが主な場所と化していました。住んでいる街なのに散策するとか、食事をするとか、そういったことがほとんどなく過ごしていたのです。

その一年間は、仕事の成果としては多くのことを成し遂げたはずなのに、年の終わりに振り返ってみると、流されていた様な感覚や、自分できちんと舵取りができていなかったのではないかといぶかしく思うほどに、疑心暗鬼になっていました。流されて過ごしてきたという感覚の恰好たる出所を見出すことが出来ずに、自分に対してイライラした気持ちに拍車がかかっていました。

昨年になり、徐々に家の周りで過ごせる時間が増えてきました。お気に入りのカフェやレストランも見つかり、自分が街の中に馴染んでいく様子は、生活がしっかりと根付いていくような感覚で心地良さを感じています。

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たまの休みを東京で過ごすことが出来る日には、なるべく遠出をせずに、家の近所で過ごすことが最高の贅沢であり、安らぎであると感じています。そんな休日の朝には、神楽坂のカフェ併設の書店で本を選び、店内でお茶を飲む、ただそれだけのことが僕にとっては最高な心の滋養なのです。

その本屋さんは「かもめブックス」といい、独特のセンスでセレクトされた本はどれも僕の興味をそそるものばかりです。その本屋さんの定期的な企画で「はたらく本棚」というものがあります。様々な職業の人に「好きな食べ物はなんですか?」と聞くように「好きな本はなんですか?」と聞き、セレクトされた本が店内のコーナーに並びます。僕はある女性の写真家が選んだ本を眺め、その中から「帰ってから、お腹がすいてもいいようにとおもったのだ。」という不思議なタイトルの本を見つけました。

その本は料理家で文筆家でもある、高山なおみさんのエッセイです。なおみさんが伝説的なレストランのシェフから転身し、料理家や文筆家として活動する最中に書かれた文章は、単なるレシピ集でも料理や食材に関するうんちく集でもありません。ひとつのタイトルにふたつの日記が介在し、ふたつ目の日記の最後にそのエピソードにまつわる、またはそのエピソードを彷彿させる料理のタイトルが添えられています。

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日記自体は、ばらばらな事柄が描かれていますがそこには不思議な一貫性があり、まるで赤裸々な私小説のようにも感じます。そして別途その料理の数々な写真が丁寧におさめられているという形態も不思議な本です。

その日記に収められている出来事は僕にとってはごく普遍的で、どこにでもありふれている風景のように思います。特に劇的でもなく、淡々とながれていく日常の中での感情のアップダウンや、人との関わりの中での出会いや別れが当たり前のように繰り広げられています。ただ、この本を際立たせているのは、その編集上の個性的な構成などではなく、著者であるなおみさんが繰り返される選択や行為のなかでも「ありふれた日常に目を見張る力」の強さだと思います。

私小説的ではあるのですが、その日常で感じる様々な事象は決して感情におぼれることはなく、経験として熱く語られます。その描写はどろどろとした主観性でもなく、サバサバとした客観性でもなく、みずみずしい経験的な言葉で綴られていることが、この本を単なるエッセイストの日記や、料理家の著作とは一線を画するものに仕上げているのだと思います。

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そして、僕が一番共感を覚えたのが、この本のひとつひとつのエピソードではなく、文庫本のあとがきです。

「ヒトの形になる前の、というか、ヒトという服をきる前の体。
骨でもないし、筋肉でも内臓でもないもの。なにかふぬふぬとした原始的な粒みたいなもので、多分ばあさんになっても、死んで体がなくなっても、私の中からなくならないもの。
この本を書いていた時期、きっと私はそのふぬふぬが何なのか、そればかりを探っていたような気がするのです。」

なおみさんらしく、「魂」の表現が“ぬふぬふ”というのがとてもしっくりくるのです。

シェフから料理家、そして文筆家としての変化を遂げようとしていたこの時代に、なおみさんは「魂」と深くつながろうと、自分の使命に深くコミットしようとしていたのだなと、その様子をうかがえることがこの本の魅力であるように思うのです。

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衣食住の世界は人を欺くこともあるけれど、生きていくためには必要不可欠なツールであることはまちがいありません。たとえば、なおみさんのお父さんが体を離れるかもしれない間際の病院から帰る新幹線で、ぱさぱさのサンドイッチを胃に納めなくてはいけないように。そして衣食住、つまり生活にまつわるマスター達は、常に彼岸を見ながらも、大地に根を生やす強さとしなやかさを持ち合わせているのだろうと感じました。

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この本を読み終える頃にあることに気がつきました。
神楽坂に引っ越してきた一年目に感じた、自分が流されて時を過ごしたような、あの空虚さの出所は、仕事量により単に私生活が希薄になっていたわけではなくて、「ありふれた日常に目を見張る力」が弱っていたのだと。その力を取り戻すためには、日々流れる時間に耳をそばだてながら料理をする、掃除をする、など体を使って日常生活に浸透していくしかないのだと。そしてその生活で感じた経験を誰かに伝え、共有していくことが必要なのだなと思いました。

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高山 なおみ「帰ってから、お腹がすいてもいいようにと思ったのだ。」2009年 文藝春秋

※ヨガヨムに寄稿しています。

仕事術としてのセルケア|「松浦弥太郎の仕事術」松浦弥太郎

2017/01/07

カテゴリ: Makotoのオフィシャルブログ, ヨガを感じる本を読む, 言葉からのインスピレーション

『僕は「仕事の基本はなんですか?」と尋ねられれば、迷わず「健康管理」と即答します。その通りだと信じ日々実践しています。どんな火急の仕事より、どんなに重要なプロジェクトより、どんなに難しいクライアントより、最優先すべきは自分の体と心の健康です。』松浦弥太郎(文筆家)

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季節が冬に変わりあっという間に新しい年を迎えました。

アーユルヴェーダ的な季節感だと、ヴァータという「空」や「風」の元素であるエネルギーへ季節が移り変わり、ヴァータにまつわる器官の不調やエネルギーの増悪が起きやすく、だれもが体調を崩しがちです。

ヨガインストラクターの方々は年末ぎりぎりまでお仕事をされ、年始も早くからお仕事を開始する方々が多いのではないでしょうか? 特にこの季節は風邪や発熱で担当クラスの代行を出す、またはクラスをクローズにしなければいけないこともあるかと思います。

僕たちはヨガとアーユルヴェーダを通じて、人の心と身体の健全さや健康を保つお手伝いをしていますが、医者の不養生とはよく言ったもので自身のヨガやアーユルヴェーダの実践は疎かにしてしまいがちです。

単に「自己の健康管理をしっかりしましょう」と月並みなことをいったとしてもあまり意味がないし、心には届かないかなと思います。
そこで今日は「丁寧に暮らす」ということをテーマにし、実践されている随筆家でクックパッド運営のWEBメディア「くらしのきほん」編集長である松浦 弥太郎さんから仕事の基本としての健康管理について、考え方を共有したいと思います。

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『包丁をぞんざいにあつかう料理人。
レンズがよごれていようとてんでお構いなしのフォトグラファー。
そんな人の仕事ぶりを信用しろと言われても、僕はためらいます。彼らが生み出すものが素晴らしいとは、どうやっても思えないのです。

自分がプロとして関わる仕事の道具は大切に取扱い、どんな時でも最良の働きができるよう、メンテナンスをわすれない。これが働くうえで欠かせない最低条件だと言えば、たいていの人は納得するはずです。

プロのアスリートの場合、睡眠時間や普段の食事など、徹底的に健康管理をしています。自分の身体が仕事の道具だと熟知しているためです。
しかし、自分の体が道具なのはアスリートだけではありません。使い方に多少の違いはあっても、だれもが心と体をつかって働きます。
その意味で心と体とは、職種を問わず、全ての人が使う「仕事の道具」なのです。

それなのに、自分の健康をないがしろにしている人があまりにも多いのではないでしょうか。

心なしで成し遂げられる仕事は何一つありませんし、体調を整えていなければ、いかなる責任もとれません。
プロとして仕事に欠かせない道具を大切に扱うことは、当然すぎるくらい、当然の話なのです。』

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いかがでしょうか?弥太郎さんからのメッセージをどの様に受け止めますか?
当然のことなのですが、健康管理を完璧に実行するのはなかなか難しいかもしれません。
しかし、ヨガとアーユルヴェーダの智慧や技術は心と身体のケア(セルフケア)に他なりません。
そしてヨガスートラという瞑想の実践にまつわる古典書には以下のようなセンテンスがあります。

ヨガスートラ4章1節
「人に生まれること、薬草(ハーブ)を生活に取り入れること、聖典の学びを実践すること、規則正しい生活をすること、瞑想の練習をすることによってヨガの成功は達成されます。」

ヨガスートラではアーユルヴェーダやヨガ、瞑想の実践を継続的に行うことをお勧めしています。
そしてそれらの実践は自己静養やセルフケアなのです。

僕は先だって、1ヵ月の間、大阪に滞在しヨガインストラクター育成講座を担当していました。慣れない環境で、外食や会食もかさなり、大阪、福岡、東京と行き来する環境は相当ハードであるとあらかじめ予測が可能であったので、いつも以上にセルフケアを心がけました。朝起きたときや夜寝る前のベッドでのヤムナの実践。朝まだ誰もいないスタジオでの瞑想やアサナの練習。
オイルの塗布やアーユルヴェーダのハーブ、そして天然のサプリメントの摂取など、五感のケアを毎日おこなったおかげで、一度風邪のような症状になりましたがなんとか乗り越え、大事には至りませんでした。

そして、弥太郎さんの作品「松浦弥太郎の仕事術」を読み、上記の自分自身の体験を通じて、今年の抱負を「自分自身のお世話をきちんとすること」と決めました。
単にヨガのポーズの練習だけにとどまるならそれは全体的ではなく健全で健康的な生活スタイルのほんの一部分にしかすぎないのです。滋養のある食べ物をとる、積極的に身体を緩めていく、読書や美しいものを鑑賞し、自然に触れるなど身体や心だけではなく、魂にも滋養を与える活動がもっと必要だなと感じています。多方面から自分自身へのケアを行えば、ヨガや瞑想など日々のルーティンも単に繰り返しや義務感にならずに情熱をもって取り組むことが可能になります。

僕はセルフケアの選択肢として、ヨガやアーユルヴェーダの可能性を十分に理解していますし、ヨガやアーユルヴェーダ、そして瞑想の実践を通じて多くの人が健やかに生活できると信じています。

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最後に弥太郎さんの仕事とはなにか?というメッセージで締めくくりたいと思います。

『「あなたにとって仕事とはなんですか?」聞かれたら僕はこう答えます。
 第一の仕事は、健康管理。
 第二の仕事は、生活を楽しむこと。
 第三の仕事は、与えられた仕事をすること。
この三つが揃ってはじめて、きちんと報酬を得られ、人を幸せにする良き働き手になりうると考えています。』
 

人が健康になり幸福になることをお手伝いする身として、この三つの教訓を常に心に留めておきたいと思います。

 
松浦弥太郎「松浦弥太郎の仕事術」2012年 朝日文庫

※ヨガヨムに寄稿しています。

ヨガを通じてなりたい自分になる|「私らしく働く」服部みれい

2016/11/28

カテゴリ: Makotoのオフィシャルブログ, ヨガを感じる本を読む, 言葉からのインスピレーション

「だれもが外側の尺度に合わせて無理するのをやめて『自分自身』に戻って『自分の仕事』をしたなら、世界は最高に幸せな場所になるはずとかなり本気で思っています。」

服部みれい
文筆家、『まぁまぁマガジン』編集長、詩人

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現在僕は、ヨガを人々に伝えることを生業としています。もしかしたら人々には変わった職業に就いていると思われるかもしれません。僕の家族も変わった職業で、代々ドッグトレイナーの家系です。一人っ子の僕は、常に犬と一緒に過ごし育ってきたので、小さい頃は獣医になりたいと思っていました。その後10代の多感な時代に、衣食住への関心と身体への強い興味から、身体に一番近いものである服の構造を学ぶために文化服装学院でファッションデザインを専攻していました。現在はヨガを通じて筋骨格系からなる身体の構造や微細なレベルでの身体について学びを深めているルーツが、僕の場合は服であったのです。

多くの20代の若者がそうであるように、僕も若い頃は生意気で既存の体制にはいつでも反旗を翻すぞとばかりに血気盛んでした。テキスタイルデザイナーとして、またセレクトショップなどでファッションの仕事をしていましたが、既存のファッションの世界に生きることの本質はないと勝手に決めつけ、アートの世界にこそ人生の本質があると思い救いを求めましたが、常に仕事を通じて自分自身に失望をしてきました。

そんな悶々としている20代後半にヨガに出会いました。ヨガに興味があったけどなかなか踏み込めずに数年が経っていましたが、ちょうどその頃日本ではヨガがブームとなっていたので、スポーツジムで手軽に良いクラスを受けることができました。身体と心を同時に満たすことができるヨガにすっかり魅了されてしまい、ヨガをライフスタイルにしたいという思いから、それまでの仕事や住まいを清算して、ヨガを生活の中心に据えるようになったのです。

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服部みれいさんの「私らしく働く」という書籍を、今年の41歳の自分の誕生日に読んでいました。みれいさんは新しい時代の生き方を様々な角度から提案し、自らも実践をされている文筆家です。彼女の提案する新しい時代を生き抜くための知恵として、自然療法を中心にアーユルヴェーダや瞑想についてのトピックスが多く寄せられています。「私らしく働く」ではそんな著者が駆け出しの雑誌編集者となり、後に自身のメディアとして雑誌を創刊、出版社を設立、編集長として、文筆家として、また一人の女性として奮闘する様子がみずみずしく描かれています。この本を通じて、僕の仕事の転換期から現在のヨガ講師に至るまでの道のりを思い出しました。多くの人が「好きなことを仕事にしたい」と思い描いています。そのような人々にみれいさんは、「誰でも何でもすぐに『好きなこと』を仕事にできるほど世の中は甘くないかなとは思います」と述べ、さらに以下のようにアドバイスを送っています。

「わくわくすること」

「やめないこと、あきらめないこと」

「小さな成功体験を積み重ねること」

「自分自身への感謝やご褒美を忘れないこと」

「どうしてもうまくいかない時は、時と場所を変えてみること」

「高飛びせずにじわじわと進むこと」

「部分的にでも今現在の仕事を先に好きになること」

「自分が幸福になることを許可すること」

僕も端から見れば『好きなこと』を仕事にし、自分らしく自由に働いているように見えるかもしれません。そして最初から今のような立ち位置にいるように思われるかもしれませんが、もちろんそのようなことは不可能ですし、ありえません。

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10数年前に、僕が初めてのヨガインストラクター育成スクールを修了した当時は、スクールの数もヨガスタジオの数も今よりずっと少なくて、特に指導経験のない男性がヨガの指導者として実践をつめるような機会はなかなかありませんでした。やっとのこと、小さな場所でヨガのクラスを担当するチャンスを与えられ、その後諦めずにコツコツと担当するクラスを増やしていきました。その間数年は休みを取らずに働いていました。余暇という意味での休みはもちろんですが、自分の勉強のためだからといってワークショップやトレーニングに参加するために代講を出すこともせずにいました。当時何でそんなに働くことができるのか?と周りの友人から聞かれましたが、やはりヨガが好きという気持ちが強くあったのと、僕の家族がドックトレナーでしたので、生き物を扱う生業である以上は実質的な休みというものがない状態で日々働いていたのを目の当たりにしていたからだと思います。家族の背中を見てきたことから、好きなことを仕事にするにはその様な生活は当然であると思っていましたし、辛いという気持ちはなくむしろ楽しんでいました。

この世に生を受けて今この場所にいる意味とは、与えられた身体と心を上手に扱いながらどの様に世界と関わっていくのか、その質を高めることにあるとヨガの実践を通じて感じています。
そして、ヨガの教えでは自分の使命(ダルマ)を全うすることが自分と世界との調和であるとされています。世界とつながり、自分の使命(ダルマ)に忠実に生きて行くならば魂と自分が深い絆で結ばれます。それが好きな仕事で自分らしく働くことを通じてなされるのならば、常に情熱的に生き、内からの生命力(オージャス)で満たされそうです。「私らしく働く」ということは、自我(アハンカーラー)を中心に据えた考え方などではなく、自分の使命に従った結果として宇宙からの授かりものであると感じています。そして、ヨガ的な自己実現とは物質的、金銭的な成功とは異なるということを常に心に留めておきたいです。

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「なりたい自分になる」ということをテーマにヨガをベースとした活動をしていますが、僕のプロフィールにあるヨガ講師という職業、スクールやスタジオのディレクターであるという肩書きは、僕自身の本質ではないとうことをはっきりと認識しています。僕の現在の職種は僕の使命(ダルマ)を全うするのに今のところ最適であるに過ぎないと思っていますし、大そうな肩書きは、僕がイメージしたことを具現化しやすくするための通行証のようなものだと思っています。

僕の興味はヨガの伝統やテクニックを伝えるのみならず、その根底にある本質的な幸せを求めることを通じて自分のあり方を確立し、人の生き方に良い影響を与えることに尽きます。
もしかしたらその広大なテーマをメッセージとして人々に伝えるには、ヨガ講師という立場では限りがあるかなと感じています。その事を裏付けるかのように、僕が信頼を寄せている占星術の先生達からは、今後僕の本質にある創造と破壊の力が大きくはたらき、また新たなることに挑戦を続けていくだろうと教えていただきました。そして今そのはじまりを確かに感じています。

人が情熱を持って自分の仕事(使命)に取り組むことは、今を生きることに他なりません。
確かに今生きているという実感を感じ続けることができるように、目の前にあることに焦点を絞り、集中を絶やさずに先に進んでいきたいです。

「わたしらしく働く!」(服部みれい著、マガジンハウス、2016年)

贈り物について

2016/11/21

カテゴリ: Makotoのオフィシャルブログ, 歳時記, 自己探求

今仕事で大阪に長期滞在しています。梅田は東京に住んでいる僕でさえ目が回るような大きな都市で、東京とは違った発見がたくさんあります。梅田の地下街はクリスマスのディスプレイでショーウィンドが美しく飾り付けられていて、毎朝その様子を見ながら仕事場のヨガスクールに通っています。毎年見ているはずのクリスマスや、年末年始に向けての風物詩が、慣れしたしんだ街ではない場所で感じることがとても不思議な感覚です。

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この季節というのは家族や友人、そしてパートナーと共に過ごす時間を大切にし、贈り物をしあう季節でもありますね。僕も毎年この季節になると何を贈ろうかと迷いますし「何が欲しい?」と聞かれてその返事に数日以上かかってしまいます。正直、欲しいと思うものが子供の頃に比べてすぐには思いつきません。大人になったことで年々欲しいものというのが減ってきたし、必要なものは自分でまかなうことができるようになりました。今年の誕生日には父から「何か欲しいものを買ってあげるよ」と言われたまま、欲しいものが思いつかずに年末にさしかかろうとしています。

ここ数年では、自分の誕生日やクリスマスに家族やパートナーに贈り物を頂くときのリクエストとして、一生使えるものが欲しいと頼んでいます。今では数百円や数千円単位の手軽な値段で様々なものが手に入ります。だからこそ、僕が日常生活で使うものや仕事で使うものなどは長く使える良質なものが欲しいなと思っています。たとえば、今までに頂いた贈り物には真鍮の鍋や柘植の櫛などの生活に必要で良質なもの、そして、ユニークな贈り物ですが、僕の仕事には有効的なアイテムである骨格模型などがあります。逆に、家族やパートナーから頂きたくないものは電化製品や流行りの品など一過性ものです。そして友人や同僚に贈り物を送るときには、消えてなくなるものが良いかなと思っています。その人の好みや嗜好を把握している場合には、ものを贈ることもありますが、そうでない時は食べ物や飲み物、石鹸やキャンドルなど、消えて無くなってしまうものや消耗品を贈るようにしています。

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そして、僕たちは互いにお土産といって旅をしてきた土地のものを贈り合いますが、本当に毎回必要でしょうか?僕はお土産を贈る時には食べ物以外は贈らないようにしています。しかし、実は食の好みも様々ですし、お土産屋さんに陳列されている食べ物が僕たちの心や身体に滋養をもたらすものとはあまり思えません。最近はお土産も月並みなものは贈らないようにし、お土産を贈るということが、慣習的にならないように心がけています。

また僕たちは、たまに会う家族、親戚や友人達に会うたびにブランド物のリップクリームやハンドクリーム、ハンカチやタオルといった小物を贈り合います。贈り主が大人で相手が子供であれば成り立ちますが、大人であればにおいや触感といった五感にまつわる好みが既に確立しているので、贈り物が喜ばれるかは定かではないです。たとえば、成熟した大人に自分で選んだ香水を贈り、相手に本当に喜ばれるということは難しいかと思います。

断捨離などの教訓には、お土産や贈り物などで自分にとって不必要なものは捨てるべきであるとはっきり断言しています。せっかく人から頂いた贈り物でも、自分にとって不要なものであればそれを潔く捨て去ることが自分の秩序を守ることになるのでしょう。

そもそもクリスマスは西洋の風習ですが、いつから日本人はクリスマスに贈り物をしあうようになったのでしょうか。明治時代にはキリスト教系の慈善団体が貧しい人々にクリスマスプレゼントを贈り始めたようです。そして大正から昭和にかけて子供や家族間、そして親しい人々の間で贈りものを贈り合うことが定着したようです。キリスト教徒でないのにクリスマスと称して贈りものを贈り合うのは違和感があるとは思っていません。共に1年を過ごしてくれたお礼として、気持ちを届けることは素晴らしいと思います。

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最近読んだ本の「あるミニマリストの物語」にはクリスマスへの新しい提案が紹介されています。

「このクリスマスに贈り物を一つもらえるとしたら何が欲しい?僕の答えはハッキリしている。時間さ。最高のプレゼントって、その場にいることなんだ。だって、僕にとっては、大きなリボンをかけて贈られる新しい靴とかピカピカの電子機器とか車検付きの高級中古車なんかよりも、自分が大切にしている人たちのほうがずっと大切だからさ。それなのに、そういう大好きな人たちと一緒に時間を過ごせないことの代償として、物質主義的な品物を送ろうというのが今の主流なんだ。品物で失われた時間を埋めあわせることって絶対にできない。今度誰かからクリスマスになにが欲しいかって聞かれたら『あなたと一緒に過ごせたら、それが私にとって最高のプレゼントだ』と答えてみたらどうだろう。」

もうすぐホリデーシーズンであるクリスマスや年末年始です。この季節は家族団欒を楽しんだり、普段は会えない友人と再会を楽しんだり、愛するパートナーと親密な時間を楽しんだりするために僕たちに贈られた特別な時間ですね。その本当の目的から的が外れてしまい、品物を買い贈ることに焦点がずれてしまわぬようにしたいですね。

僕の今年のクリスマスは以前のようになにを贈ろうか?なにが欲しいか?と頭を悩ませ時間を費やさなくてすみそうです。僕らしい選択をして、大切な人たちと絆を深める為に有意義な時間を過ごそうと思います。

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