Makotoのオフィシャルブログ

魂によりそうもう一つの魂|城山三郎「そうか、もう君はいないのか」

2017/11/02

カテゴリ: Makotoのオフィシャルブログ, ヨガを感じる本を読む, 自己探求, 言葉からのインスピレーション

「彼女はもういないのかと、ときおり不思議な気分に襲われる。容子がいなくなってしまった状態に、私は上手く慣れることができない。ふと、容子に話しかけようとして、われに返り、『そうか、君はいないのか』となおも容子に話しかけようとする。

城山三郎 作家

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読書の秋となりましたね。
今年の秋は「愛」をテーマに「カップリング」や「リレーションシップ」について考えてみたいと思い立ち、いくつかの本の中から、城山三郎さんという作家の「そうか、君はもういないのか」というエッセイを選びました。それまでこの作家の名前も知らず、作品を読んだこともありませんでした。城山さんの他の作品は骨太な男性が主人公。経済小説や歴史小説など硬派な印象の作品で、おおよそ僕の好みではない作風だと思っていたのです。
ただ「そうか、もう君はいないのか」という書籍のタイトルを見た時に何とも言えない切ない気持ちがこみあげてきて、最愛の人を失う喪失感とはいったいどんなものなのだろうとこの本を手に取ってみました。

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ヒンドゥー教を背景とする伝統的なヨガの教えでは、出家しないのであればパートナーを持ち、共に家庭を築くことが美徳とされています。他者を信頼し愛しながら共に歩んでいくことは、出家して修行にいそしむことと同じく尊いことであると考えられているのかもしれません。一人の人間が他者と出会い、肉体を離れるまで共に人生を歩むということは神秘的ですらあると感じます。

この本は数多くの作品を残してきた作家、城山さんが、先立たれた最愛の人との出会いから別れまでを綴った彼の最後の作品でもあります。城山さんとパートナーの容子さんの出会いはまるで映画のよう。作家を志す城山さんが図書館に出かけていったところ、図書館は休館日。同じく図書館の前で休館であることに肩を落としていた容子さんをみそめ会話がはじまり二人は一瞬で恋に落ちてしまいます。しかし、容子さんのお父様からの反対があり二人は離れ離れになってしまいます。そして数年後に名古屋のダンスホールで運命的な再会をはたし再び恋に落ち、ほどなくして結婚を決意するのです。城山さんが26歳そして容子さんが22歳の時でした。

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運命の人とは本当にいるのでしょうか?
この二人のロマンティックな愛の物語はまぎれもなくノンフィクションであり、運命の人はいると思わずにはいられません。

城山さん達カップルが出会った時代とは違い、現在はたくさんの情報に触れることができますね。人と人とのつながりもインターネットやSNSを通じ、過去とは桁違いの出会いがあります。多くの機会に恵まれる一方で、城山さん達のようなドラマティックな思い出を共有する人に巡り合える人は一体どれくらいいるのでしょうか?

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多くの人がSNSのカップリングアプリでカタログから商品を選ぶように出会いを求めるなか、人は感覚器官を駆使して選択を繰り返し行っているのだと思います。
一般的に男性は視覚判断のできる情報、つまり外見を元に、女性は安全と安心が満たされる条件、つまり相手の持っているスペックでパートナーを選ぶ傾向にあるように思われます。それは本能とも言えるかもしれないし、僕たちの原始的な部分の脳にプログラムされていることなのかもしれません。また男性であれば動機が家事代行的な利便性であったり、女性であれば子どもを持つという願望であったり、どちらとも契約的な側面が強いように感じてしまいます。
しかし、前時代的な男性性や女性性というジェンダーが曖昧になっている現代では、男性も女性もヨガで重要としている自立が促されているように思います。よって理想的なカップリングにはお互いの条件の合意ではなく個々の価値観の合意やその人自身の在り方が重要であると思います。

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城山さんは結婚当初には大学での講師の仕事と作家としての活動を平行していました。その後、作家ひとすじで生きていくようになり、容子さんがそれを全面にサポートしていきます。城山さんが作家として仕事に専念し多くの作品を世に残すことができたのは容子さんの存在なくしては成し遂げられなかったのではないかと思います。また二人の間には女の子と男の子の二人の子供に恵まれました。家族四人で生活する中で二人の子ども達は、立派に成人し親元を離れていきましたが、その後も城山さん達家族がかたい絆で結ばれていたことが本文や娘さんのあとがきからもうかがえます。人生において一つの段落が落ち着いたことを城山さんはこの様に述べています。

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「人生の一区切りがあって、夫婦二人になるという気分は、良くも悪くも、独特なもの。しかし、いつか二人きりでいることにも慣れてしまえるが、やがて永遠の別れがやってくる。」

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余生を二人で楽しむことに慣れ始めた矢先に、容子さんの病が発覚してしまいます。容子さんが肉体を離れるまでの間、献身的に看病をする城山さん。このエッセイには容子さんと共に歩んだ幸せな日々の思いでが語られ、二人の深い絆や愛が文面から伝わり、一人の人を最後まで愛することの尊さが僕の胸を打ちました。

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ヨガでは人生を経験する場であると考え、僕達の身体や五感、そして心は経験をするためのツールとして使いこなす必要があり、今世とは自分の魂が意図した経験を十分に味わうためにあるのだと教えます。城山さんが多くの作品を創作し世に残したことは彼の魂が意図したことです。そして、それを容子さんが常に内需の功で支えたのは、彼女の魂の計画であるのだと思います。城山さんの魂によりそうようにあったもう一つの容子さんの魂の存在があったからこそ、彼のインスピレーションの源泉は満たされつづけたのでしょう。そして、その奇跡は、容子さんの死後をも続きました。物質である容子さんの肉体はこの世を去りましたが、彼女の魂は城山さんの魂によりそい続けることが出来たのです。

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魂が意図した経験を十分に味わうためには、強い身体と心が必要です。経験に対して僕たちの身体が整い、心がオープンでいるために、アーサナやプラナヤーマそして瞑想の実践を続けていきます。時に試練に挑むということが必要な場面もたくさんあるでしょう。その時に僕の魂に寄り添ってくれるもう一つの魂があるのなら、今世という旅の経験に勇気をもって取り組むことができ、この旅の終わりには深い満足が得られるに違いありません。

そうか、もう君はいないのか」 城山三郎 著
2008年新潮社

心を潤す小さな集まりについて|ネイサン・ウィリアムス「The Kinfolk Table」

2017/09/07

カテゴリ: Makotoのオフィシャルブログ, ヨガを感じる本を読む, 言葉からのインスピレーション

「私達が訪ねた方々のおかげで、『もてなしの心』にはさまざまな形があるという、
私の考えは間違っていなかったということを確信しました。
もてなしとは、手の込んだ盛大なパーティでもあれば、静かで、私的で、控えめなものでもあるのです。
入念な準備をして過ごす完璧な夜もあれば、思いつきで友人と協力しながら過ごす、
完璧とはほど遠い素敵な夜もあるのです。」

ネイサン・ウィリアムス KINFOLK創設者、編集長

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小さな屋根裏の様な部屋に暮らしはじめて4回目の夏を迎えました。丁度引っ越したのも夏の終わりごろ。いまの部屋に決めた理由のひとつが、寝室からつながる小さなルーフバルコニーがあること、そしてそこからの景色が圧倒的に美しかったからです。その頃、僕が好きだった「KINFORK」という雑誌に影響を受けて自宅に大切な人を招き、シンプルで簡単に作れる料理をふるまい、共に味わうことをしようと思いたちました。引っ越しの作業が済み落ち着いた時には、季節はもうすでに秋の気配を感じはじめる頃になっていて、涼しい風が吹く中ではじめての「小さな集まり」を行いました。限られた空間なので招きいれるゲストは3名まで。グリーンカレーや春雨のサラダを作り、普段お世話になっている大切な人たちと楽しく食卓を囲んだことを懐かしく思い出します。この充実した時間を味わう為に頻繁に「小さな集まり」を開こうと思いましたが、慌ただしい日常や東京を離れることの多いワークスタイルの為、引っ越し当初以外は友人を自宅に招くということは出来ずにいました。実際には忙しさにかまけていたというよりも、「もっと手の込んだ料理を作ろう」とか「部屋をぴかぴかに掃除しなくては」などと「小さな集まり」に完璧さを求めていたことがプレッシャーとなり自宅に人を招くということから遠のいていたのだと思います。

米国オレゴン州ポートランドで生まれた「KINFOLK」は創設者で編集長でもあるネイサン・ウィリアムスを中心に、写真家、作家、イラストレーター、デザイナー達がチームを組んで食事や旅、アートや音楽、ファッションなど生活や人生にまつわることを美しい写真や文章でつづる全く新しいライフスタイル誌です。「KINFOLK」という言葉の意味は家族や親しい者という意味の「KINSFOLK」という単語が古めかしい響きなので、モダンにする為に「S」を抜き取った造語とのこと。「Discovering new things to cook, make and do(小さくて新しい発見の日々を送る)」、「Small gathering(小さな集まり)」をコンセプトにありふれた日常に繊細な意識を向けることで生活を充実させ人生をより良くしていくことを探求していくことを提案しています。そんな新しい雑誌がまとめた料理に関するヴィジュアルブックが今回ご紹介する「THE KINFOLK TEBLE」です。僕は料理のレシピ本が好きで、本屋さんに行くとついつい買ってしまうのですが、この本はおしゃれなレシピ集とは違います。

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全部で85のレシピからなるこの本はネイサン・ウィリアムスと「KINFOLK」のメンバーが世界の街を旅してまわり、異なる国に住む異なるバックグラウンドを持った彼らの友人の家々を訪ねて、作った料理を共に食べて取材するという形式でつくられています。
レシピの内容は簡潔で一人や二人で食べる朝食やランチ、夜食に適したメニューや複数の仲間と共にするディナー。どの料理もシンプルだけれどもおいしそうで作ってみたくなります。そしてその土地やその人のもつ文化を垣間見ることができることもこの本の大きな魅力です。

レシピを提供した人たちの職業も様々です。
バリスタ、編集者、ライター、ブロガー、デザイナー、写真家、花屋、陶芸家、農家、料理人など、彼らの生活の様子やキャリアをレシピと共に知ることが出来きます。年代もばらばらな面々は、一人暮らしの人もいればカップルや家族で暮らしている人もいて、一見共通点が無いようにみえますが、バランスが取れた暮らし、食べ物に感謝すること、そして友人を招待することなど彼らは「KINFOLK」が提案しているシンプルなライフスタイルを実践しているという共通項があるのです。大切な人と共に食事をするというささやかな喜びを見出すことが、仕事のキャリアと同じくらい大切だと知っている人々です。様々な職業の彼らが仕事で創造性を発揮し、成功を収めることが出来たのは、地に足をつけ、日々の生活に美しさや意味を見出すことを生きる活力にすることが出来ているからだとネイサン・ウィリアムスは言います。

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現在、シンプルなライフスタイルはひとつのトレンドであり、大きな商業ビルにいくと上質な日用品を集めたセレクトショップが軒をつらねていますし、アパレルショップ内にも高価な洗剤や食器、調味料などを売っているコーナーがあり、人気を得ているようです。人々の興味が「上質な日常生活」ということに向いているようですが、「KINFOLK」の目的はもてなすということを複雑にした商業的な覆いを外すこと、そして気軽で意図的で意味のある新しいもてなしの形を提案することであると言います。料理を作り、人に差し出すことや共に料理をつくること、そして食事を共にすること、それらに含まれる会話、味覚、印象などはコミュニケーションであると思います。愛上表現ともいえるそのコミニュニケーションが商業的な消費行為に陥らない様に気を付けたいです。

「KINFOLK」で提案する理想の暮らしとは、「丁寧に暮らす。身の回りにあるモノを大切にし、身の回りにある自然を愛おしむ。ここにある『いま』をないがしろにしない。」ことであると言います。いつの時代も生活や人生に真摯に取り組む人は簡素で『いま』を大切にすることが出来るのでしょう。

今週末は久しぶりのお休みを東京で過ごすことができそうです。4年ぶりに大切な人たちを自宅に招き、小さなバルコニーで僕の作った料理を一緒に味わいたいと思います。その「小さな集まり」のなかで「一緒の時間を過ごすこと」、「楽しい会話をすること」を目的に自然体でもてなすことが出来たならゲストや僕の心が潤いで満たされることでしょう。

The Kinfolk Table」ネイサン・ウィリアムス(著) KINFOLK

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結果にとらわれない潔い態度を育む|ダン・ハリス「10% HAPPIER」

2017/06/06

カテゴリ: Makotoのオフィシャルブログ, ヨガを感じる本を読む, 言葉からのインスピレーション

「瞑想をしているということを白状すると、『それで人生はよくなるのか?』と質問されるんです。そんな時は、『今より10パーセント幸せになるよ。』と答えることにしています。」

ダン・ハリス ジャーナリスト

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ハタヨガという身体を使ったヨガがブームとなった次は瞑想が世界的なブームであり、欧米の大手企業では瞑想を全社的に取り入れ、社員が瞑想する為の部屋まで完備している企業もあるようです。美しくありたいと願う女性たちがハタヨガを行い、ライフスタイルに取り入れることが定着した今、仕事に情熱を燃やす男性たちの間で瞑想を行うことが浸透しつつあります。

瞑想とはそもそもなんでしょうか?
瞑想という言葉の意味を辞書で引いてみると以下のように説明がされていました。

【瞑想とは心を鎮めて無心になること、目を閉じて深く静かに思いをめぐらせること。】

なぜ目を閉じて無心になることが必要であり、世界中の人々がこぞってこの実践を行っているのでしょうか?

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ヨガという言葉が初めて登場する古代の文献である「ヨガスートラ」は、ヨガの根本的な経典であるといわれていますが、実は「ヨガスートラ」とは、瞑想の体験を成功させる為の手引書なのです。しかしこの古の文献での瞑想の定義は難しくて複雑のように思われます。そして、現代に書かれている瞑想についての本もまた難解であったり、胡散臭く思う人も多くいるかと思います。また精神世界の雰囲気がするものに拒絶反応がある方がいるのも事実ですね。瞑想についてもっとわかりやすく健全に伝えたいと思っている時に「10%HAPPIER」という本に出会いました。

今回ご紹介する本は、米国ABC放送の人気キャスターであるダン・ハリスさんが自分のエゴと向き合い、頭の中で絶え間なく続くおしゃべりを黙らせて、自分の精神に触れることで自己探究をしていくノンフィクションです。なので、この本は瞑想のやり方についての専門書ではありませんし、良くある精神世界を肯定することが大前提のスピリチュアル本でもなければ、聞き飽きたお説教のような自己啓発本とも異なります。

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ダンさんにはステイタスがありますが、あくまで普通の感覚の持ち主であることが文面からうかがえます。現実的で懐疑主義でもあることを自認されている彼が瞑想の実践を始め、仏教的なものごとの見方を身につけることで、【慈悲の心を持ちながら社会的に成功をおさめるということは両立するのか?】というテーマに真っ向から突き進みます。最終的にはABC放送の看板番組のメインキャスターに昇り詰めるまでの奮闘ぶりが、ユーモアをふくめながらジャーナリストらしい鋭いまなざしで語られています。

ダンさんは戦場での取材の経験や、淘汰の激しい業界において、ライバルとの競争によるストレスからドラッグに手を染めてしまうのですが、自分の社会的立場の責任感やドラッグがきれた時のパニック障害の経験を更生しようと精神科医の元にカウンセリングに通っていました。

ドラッグの影響から立ち直ろうとする中で、ダンさんは仕事で宗教関連の報道を手掛け、何名かの著名な宗教家へのインタビューを行います。その後現代のスピリチュアルリーダーであるエックハルト・トール氏の著作「ニューアース」を読むことで、最初は毛嫌いし、小馬鹿にしていたはずの精神的な世界への扉を開いていくのです。トール氏の著作の抽象的な表現にうんざりしながらも、ダンさんの心を撃沈する以下のような一節を発見するのです。

「トールによると、人間は生まれてから死ぬまでずっと自分の頭の中の声に支配されている。その声は、ひっきりなしに何かを考えている。ほとんどはネガティブな思考であり、同じことの繰り返しで、そして自分のことだ。」

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上記の文章がまさしく彼の頭の中の出来事そのものであり、その声の主、つまりエゴの存在をはっきりと認識したのです。エゴによって過ぎ去った出来事に執着し、起きてもいない未来の不安や期待に思いをはせてしまうことで、今現在がないがしろになってしまっていることに気がつきます。一見したところ成功しているような自分の人生が、実は夢遊病にように何も考えず、ただ惰性で過ごしてきことを痛感したのです。

元来心配性でネガティブな心の傾向があるダンさんは、最小限のストレスで自身の心的能力を向上できる方法を知りたい、そしてエゴが行う頭の中のおしゃべりをだまらせる方法を知りたいと思うのですが、生憎トール氏のどの著作を読んでも答えは見つからず、自らその答えを見つけるべく瞑想の実践へと導かれていきます。

ヨガの世界観では、頭の中で繰り広げられるおしゃべりの主であるエゴ(自我意識)を本当の自分ではないとはっきり断言しています。頭の中で繰り広げられる思考は常に勝手に動き回ってしまい、僕たちをあらぬ方向へ、自分が望まない方向へと押し出します。ヨガスートラの冒頭にはこの様な苦しみの原因の一端が以下のようにあらわされています。

「思考が動き回ってしまうことに配慮をしないと、本当の自分と思考とを混同してしまうことが苦悩の原因となるでしょう。」
ヨガスートラ1章4節

では「動き回っては次々と浮かんでくる思考に対して、どの様な配慮を持つことが出来るのか?」をこの本でダンさんが追及してくれています。

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その後、トール氏をはじめ、精神世界のリーダたちを取材しましたが自分が求めるような回答が得られずに悶々としていました。そこで、まずは自ら瞑想の実践を深め、仏教の教えを学びました。仏教の教えは現実的な彼の性質と上手く溶け合い、瞑想の実践の成果もあり、彼の知性が徐々に輝きだします。懐疑心ではなく、本質を見極める力が備わってくる様子がうかがえます。

瞑想を続けながらも、ダンさんは自分の昇格に右往左往していたのですが、瞑想や仏教的な考え方を身につけているが故、上司からは能力があるのに意欲に欠け、消極的な人とみられてしまっていました。仕事上重要なポジションにほとんど立たせてもらえないことも、調和という能力を身につけているが故、あまり気にならないでいました。しかし、大きな事件やプロジェクトが立て続く中、自分がその渦中にいないことを疑問に思い、自分の上司に面談を申し入れたのです。

面談の結果、自分がふぬけになっていたことに改めて気がつきます。瞑想の実践で頭の声に振りまわされることがなくなり、以前よりは生きやすくなってはいたものの社会的に見たら機能しない消極さが身についていたのです。

そこで彼は、【幸せで善良な人になりながら、世俗的な成功も達するにはどうすればいいのか】という問題に真剣に取り組むことになります。野心と平常心のバランスを模索しているなか、友人でもあり仏教の学びの師でもあるマークさんに諭された一言は彼が求めていた答えでした。それは「結果に執着しない」ということ。自分自身がコントロールできることのみに集中し、自分にはコントロールできないことは見極めて手放す。この知恵こそが彼が知りたかったことであり、この物語のマスターピースなのでした。

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その後のエピソードで、ダンさんがABC放送の看板ニュース番組のメインキャスターに抜擢され、昇進した様子が伝えられています。彼が知った「結果に執着しない」という知恵は、ヨガスートラで述べられている瞑想の効果を引き出す為に必要な事の一つとして上げられています。ヨガスートラでは「結果に執着しない」ということを以下のように表現しています。

「自然の法則を理解しその流れに身を任せることによって瞑想の効果が深まります。」
ヨガスートラ2章45節

目標や目的に対して自分が出来ることを全て行ったとしても、その結果は自然や宇宙、神にゆだねるという潔い態度がダンさんの成功体験の秘訣だったようです。

そしてこの潔い態度はヨガや瞑想の実践を通じて育み、身につけることが可能です。

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ダン・ハリス「10%HAPPIER」2015年大和書房

教えるということは学ぶということ|キャスリーン・フリン「ダメ女たちの人生を変えた奇跡の料理教室」

2017/04/13

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「私たちは生きて、学んで、教え合う。これって素敵なことじゃない?」
キャスリーン フリン ライター ジャーナリスト 料理講師

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僕たちの身体は食べものから出来ています。

ヨガやアーユルヴェーダでは僕たちの身体をより微細なレベルでとらえていて五つの層から成り立っているのだと教えています。(パンチャ コーシャ/五つの鞘)この骨と筋肉からなる僕たちの身体は一番目の層であり、粗大な身体とされています。この層のことをサンスクリット語ではコーシャ(鞘)といい、一番目の層は「アンナンマヤ コーシャ」と言います。「アンナン」という言葉には「食べ物」という意味があり、「マヤ」という言葉が変化したものという意味なので、食べ物が変化したものが身体ということなのですね。「アンナン」には「捕食されるもの」という意味もあるので、僕たちの魂が肉体を離れた際に肉体が土にかえり、他の生物の滋養となることが暗示されているのでしょう。そしてアーユルヴェーダでは未病を防ぐことに力をいれていて、毎日なにをどう食べるのかを選択することの指導に重きがおかれています。

しかし、僕たちの身体が食べものから出来ているという、このシンプルな事実を本当に受け入れ、意識的に食べ物や調理法を選択している人がいったいどれ位いるのでしょうか?

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「ダメ女たちの人生を変えた奇跡の料理教室」と題されたノンフィクション作品は、境遇はまったく異なるが、料理ができないと思い込んでいるがために自信を無くしてしまっている10人の女性たちが、全10回の料理レッスンを通じて変わっていく、その様子が臨場感あふれる描写で表現されています。それぞれの実在する登場人物は様々な問題を抱えていて、マーガリン依存症、セレブなのに日本のカレールーで作ったカレーをわが子に食べさせ続ける、夫が料理上手で劣等感を感じている、元夫と一緒に買った七面鳥を冷凍したまま4年保存して捨てられない、等々。「ダメ女」というよりは「食」ということに関して無頓着であり、改善したいけれどやり方がわからない、無知な状態なのだと思いました。さらに、登場人物の人々は「食」ということがままならないためか、家族間での劣等感にさいなまれていたり、なにかに中毒的になっていてやめられない、無駄に沢山買ってしまうなど、その他の生活や人生に関わる様々な面でも葛藤を抱えている様に見えます。

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全10回の料理のレッスンとは、包丁の使い方や、加工品とナチュラルな調味料のテイスティングなどを通じて自炊をし、基礎力を高めることができるレッスン。肉や魚の扱い方や卵の調理法のアレンジ、こねないパンの焼き方や簡単なホイル料理など、とても実践的な内容のレッスンです。少ない買い物で沢山の料理を作ることや、残り物の再利用法などをしっかりと行うことで、なるべくゴミをださないことを提案してみます。この提案を通じて、サスティナブル(継続可能)かつ環境を配慮したライフスタイルを意識することの大切さを伝えるレッスンなど、既存の料理教室にはないクリエイティブで充実したカリキュラムは、思わず僕もキャスリーンさんのレッスンに参加したいなと思いました。特に印象的だったのが、鶏を丸ごと一羽解体するレッスンです。なぜ切り身ではなく、丸ごと一羽をさばくのかと言えば、これがかつて生き物であることを知ることで、食材としての肉を無駄にはできなくなる。その大切なことを参加者に経験から理解させるという意図が素晴らしいなと思うのです。

そもそもこの料理教室を行うことになったきっかけは、キャスリーンさんがあるスーパーで買い物している時に、冷凍食品ばかりをつぎつぎと買い物かごに入れる子連れの主婦を見かねてアドバイスした経験がアイデアとなりました。自らゲスト出演した料理のラジオ番組を通じて参加者を募り、10名の参加者の自宅に出向き、キッチンを見せてもらいながら彼女達がいつも食べている料理をキャスリーンさんの目の前で作ってもらう。そして足りない技術をレッスンの中に組む込み、全てのレッスンが終わってから参加者がその後どのように料理し、暮らしているのかを確認するという壮大なプロジェクトだったのです。

全10回のレッスンが終わり、キャスリーンさんは自分のこのプロジェクトの努力が実らず、参加者が以前と変わらないような「食」への関わり方をしていたらどうしよう、自分は良い影響を与えられたのだろうかと疑心暗鬼になりました。そうした不安を抱えながら再び彼女達のキッチンを訪ねると、多くの人がレッスンで学んだことを生かし、以前よりも自信を取り戻し、生き生きと暮らしていたのを目にしたのです。

この本の最後は、その後のキャスリーンさんの様子が描かれています。キャスリーンさんは参加者と同じくらい、あるいはそれ以上にこのプロジェクトから学び、その学びの中には本人も予期していなかった自分自身が変わって行くという過程が含まれていたようです。

「一歩引く」ことを学んだというキャスリーンさんは、このように自身のプロジェクトを締めくくっています。

「教えた人から、私たちは予期していなかった教訓を学ぶ。私たちは自分自身が誰なのか、そして人生のどのあたりにいるのかを思い出し、コースを変える為の改革が必要なのだ。

私は書いて、料理をして、人に教える事ができる。私にその情熱が詰まっていることは、私自身が良く知っている。」

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ヨガに限らず人に何かを伝えるということは、自分自身が生徒を通じて学ぶことだと思っています。また講師も100%教える内容を理解しているわけではなく、教えながら学んでいるのだとも思います。僕はヨガのインストラクターを育てる講師という役割なのですが、自分が「先生」ではなく、僕自身生徒がヨガを通じて変革していく「仲介役」に徹したいと思っています。

僕自身も教えながら自分自身への理解を深め、変化を遂げようとしている毎日なのです。

メイン講師を担当させて頂いている2つのトレーニングが最近終了し、今回も沢山の事を生徒達から学ばせて頂きました。そしてまた、新しく2つのトレーニングがスタートしています。今回はどの様な学びや変化があるのか楽しみです。

数年前、意中の人に「好きな人のタイプは?」と聞いたら「一緒に食事をしていて楽しいと思える人」という意見がかえってきました。その言葉を聞いた時は肩すかしを食らった様な感覚でしたが、今はその言葉にとても共感できますし、同じ質問を受けた時には同様の回答をしています。なぜならば、食べるということは生きることであり、どんなものをどうやって食べるかは、その人のライフスタイルに反映するのですから。

以前はオーガニックな食材にこだわり宅配で食材を注文し、仕事で家を不在にすることが多いにも関わらず冷蔵庫はパンパンで使いきることができないことが多々ありました。現在はマンションの近くのスーパーでごく少量の買い物をすませ、不必要に材料を買い足すことなく、冷蔵庫にあるものでおいしい食事を作る努力をしています。

自分で料理をつくるということは自分へ必要な滋養を与えるということ、そして自分のつくった料理を大切な人へと差し出すということは、愛情表現になりうるのだと思います。料理自体は語る言葉を持たないけれど、それはコミュニケーションなのです。

この本を読み終えてから、あらためて僕の小さなキッチンにたたずみ、冷蔵庫の扉を見つめていました。「生きて、学んで、教え合う。」そんな素敵なことをこの先も続けていくために、大切な人の身体や心を癒し滋養を差し上げる為に、今日も料理をしようと思います。

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ダメ女たちの人生を変えた奇跡の料理教室(きこ書房)」 キャスリーン・フリン(著)、村井理子(翻訳)

ヨガヨムに寄稿しています。

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