Makotoのオフィシャルブログ

仕事術としてのセルケア|「松浦弥太郎の仕事術」松浦弥太郎

2017/01/07

カテゴリ: Makotoのオフィシャルブログ, ヨガを感じる本を読む, 言葉からのインスピレーション

『僕は「仕事の基本はなんですか?」と尋ねられれば、迷わず「健康管理」と即答します。その通りだと信じ日々実践しています。どんな火急の仕事より、どんなに重要なプロジェクトより、どんなに難しいクライアントより、最優先すべきは自分の体と心の健康です。』松浦弥太郎(文筆家)

image2

季節が冬に変わりあっという間に新しい年を迎えました。

アーユルヴェーダ的な季節感だと、ヴァータという「空」や「風」の元素であるエネルギーへ季節が移り変わり、ヴァータにまつわる器官の不調やエネルギーの増悪が起きやすく、だれもが体調を崩しがちです。

ヨガインストラクターの方々は年末ぎりぎりまでお仕事をされ、年始も早くからお仕事を開始する方々が多いのではないでしょうか? 特にこの季節は風邪や発熱で担当クラスの代行を出す、またはクラスをクローズにしなければいけないこともあるかと思います。

僕たちはヨガとアーユルヴェーダを通じて、人の心と身体の健全さや健康を保つお手伝いをしていますが、医者の不養生とはよく言ったもので自身のヨガやアーユルヴェーダの実践は疎かにしてしまいがちです。

単に「自己の健康管理をしっかりしましょう」と月並みなことをいったとしてもあまり意味がないし、心には届かないかなと思います。
そこで今日は「丁寧に暮らす」ということをテーマにし、実践されている随筆家でクックパッド運営のWEBメディア「くらしのきほん」編集長である松浦 弥太郎さんから仕事の基本としての健康管理について、考え方を共有したいと思います。

image3

『包丁をぞんざいにあつかう料理人。
レンズがよごれていようとてんでお構いなしのフォトグラファー。
そんな人の仕事ぶりを信用しろと言われても、僕はためらいます。彼らが生み出すものが素晴らしいとは、どうやっても思えないのです。

自分がプロとして関わる仕事の道具は大切に取扱い、どんな時でも最良の働きができるよう、メンテナンスをわすれない。これが働くうえで欠かせない最低条件だと言えば、たいていの人は納得するはずです。

プロのアスリートの場合、睡眠時間や普段の食事など、徹底的に健康管理をしています。自分の身体が仕事の道具だと熟知しているためです。
しかし、自分の体が道具なのはアスリートだけではありません。使い方に多少の違いはあっても、だれもが心と体をつかって働きます。
その意味で心と体とは、職種を問わず、全ての人が使う「仕事の道具」なのです。

それなのに、自分の健康をないがしろにしている人があまりにも多いのではないでしょうか。

心なしで成し遂げられる仕事は何一つありませんし、体調を整えていなければ、いかなる責任もとれません。
プロとして仕事に欠かせない道具を大切に扱うことは、当然すぎるくらい、当然の話なのです。』

image1

いかがでしょうか?弥太郎さんからのメッセージをどの様に受け止めますか?
当然のことなのですが、健康管理を完璧に実行するのはなかなか難しいかもしれません。
しかし、ヨガとアーユルヴェーダの智慧や技術は心と身体のケア(セルフケア)に他なりません。
そしてヨガスートラという瞑想の実践にまつわる古典書には以下のようなセンテンスがあります。

ヨガスートラ4章1節
「人に生まれること、薬草(ハーブ)を生活に取り入れること、聖典の学びを実践すること、規則正しい生活をすること、瞑想の練習をすることによってヨガの成功は達成されます。」

ヨガスートラではアーユルヴェーダやヨガ、瞑想の実践を継続的に行うことをお勧めしています。
そしてそれらの実践は自己静養やセルフケアなのです。

僕は先だって、1ヵ月の間、大阪に滞在しヨガインストラクター育成講座を担当していました。慣れない環境で、外食や会食もかさなり、大阪、福岡、東京と行き来する環境は相当ハードであるとあらかじめ予測が可能であったので、いつも以上にセルフケアを心がけました。朝起きたときや夜寝る前のベッドでのヤムナの実践。朝まだ誰もいないスタジオでの瞑想やアサナの練習。
オイルの塗布やアーユルヴェーダのハーブ、そして天然のサプリメントの摂取など、五感のケアを毎日おこなったおかげで、一度風邪のような症状になりましたがなんとか乗り越え、大事には至りませんでした。

そして、弥太郎さんの作品「松浦弥太郎の仕事術」を読み、上記の自分自身の体験を通じて、今年の抱負を「自分自身のお世話をきちんとすること」と決めました。
単にヨガのポーズの練習だけにとどまるならそれは全体的ではなく健全で健康的な生活スタイルのほんの一部分にしかすぎないのです。滋養のある食べ物をとる、積極的に身体を緩めていく、読書や美しいものを鑑賞し、自然に触れるなど身体や心だけではなく、魂にも滋養を与える活動がもっと必要だなと感じています。多方面から自分自身へのケアを行えば、ヨガや瞑想など日々のルーティンも単に繰り返しや義務感にならずに情熱をもって取り組むことが可能になります。

僕はセルフケアの選択肢として、ヨガやアーユルヴェーダの可能性を十分に理解していますし、ヨガやアーユルヴェーダ、そして瞑想の実践を通じて多くの人が健やかに生活できると信じています。

image4

最後に弥太郎さんの仕事とはなにか?というメッセージで締めくくりたいと思います。

『「あなたにとって仕事とはなんですか?」聞かれたら僕はこう答えます。
 第一の仕事は、健康管理。
 第二の仕事は、生活を楽しむこと。
 第三の仕事は、与えられた仕事をすること。
この三つが揃ってはじめて、きちんと報酬を得られ、人を幸せにする良き働き手になりうると考えています。』
 

人が健康になり幸福になることをお手伝いする身として、この三つの教訓を常に心に留めておきたいと思います。

 
松浦弥太郎「松浦弥太郎の仕事術」2012年 朝日文庫

※ヨガヨムに寄稿しています。

ヨガを通じてなりたい自分になる|「私らしく働く」服部みれい

2016/11/28

カテゴリ: Makotoのオフィシャルブログ, ヨガを感じる本を読む, 言葉からのインスピレーション

「だれもが外側の尺度に合わせて無理するのをやめて『自分自身』に戻って『自分の仕事』をしたなら、世界は最高に幸せな場所になるはずとかなり本気で思っています。」

服部みれい
文筆家、『まぁまぁマガジン』編集長、詩人

03

現在僕は、ヨガを人々に伝えることを生業としています。もしかしたら人々には変わった職業に就いていると思われるかもしれません。僕の家族も変わった職業で、代々ドッグトレイナーの家系です。一人っ子の僕は、常に犬と一緒に過ごし育ってきたので、小さい頃は獣医になりたいと思っていました。その後10代の多感な時代に、衣食住への関心と身体への強い興味から、身体に一番近いものである服の構造を学ぶために文化服装学院でファッションデザインを専攻していました。現在はヨガを通じて筋骨格系からなる身体の構造や微細なレベルでの身体について学びを深めているルーツが、僕の場合は服であったのです。

多くの20代の若者がそうであるように、僕も若い頃は生意気で既存の体制にはいつでも反旗を翻すぞとばかりに血気盛んでした。テキスタイルデザイナーとして、またセレクトショップなどでファッションの仕事をしていましたが、既存のファッションの世界に生きることの本質はないと勝手に決めつけ、アートの世界にこそ人生の本質があると思い救いを求めましたが、常に仕事を通じて自分自身に失望をしてきました。

そんな悶々としている20代後半にヨガに出会いました。ヨガに興味があったけどなかなか踏み込めずに数年が経っていましたが、ちょうどその頃日本ではヨガがブームとなっていたので、スポーツジムで手軽に良いクラスを受けることができました。身体と心を同時に満たすことができるヨガにすっかり魅了されてしまい、ヨガをライフスタイルにしたいという思いから、それまでの仕事や住まいを清算して、ヨガを生活の中心に据えるようになったのです。

04

服部みれいさんの「私らしく働く」という書籍を、今年の41歳の自分の誕生日に読んでいました。みれいさんは新しい時代の生き方を様々な角度から提案し、自らも実践をされている文筆家です。彼女の提案する新しい時代を生き抜くための知恵として、自然療法を中心にアーユルヴェーダや瞑想についてのトピックスが多く寄せられています。「私らしく働く」ではそんな著者が駆け出しの雑誌編集者となり、後に自身のメディアとして雑誌を創刊、出版社を設立、編集長として、文筆家として、また一人の女性として奮闘する様子がみずみずしく描かれています。この本を通じて、僕の仕事の転換期から現在のヨガ講師に至るまでの道のりを思い出しました。多くの人が「好きなことを仕事にしたい」と思い描いています。そのような人々にみれいさんは、「誰でも何でもすぐに『好きなこと』を仕事にできるほど世の中は甘くないかなとは思います」と述べ、さらに以下のようにアドバイスを送っています。

「わくわくすること」

「やめないこと、あきらめないこと」

「小さな成功体験を積み重ねること」

「自分自身への感謝やご褒美を忘れないこと」

「どうしてもうまくいかない時は、時と場所を変えてみること」

「高飛びせずにじわじわと進むこと」

「部分的にでも今現在の仕事を先に好きになること」

「自分が幸福になることを許可すること」

僕も端から見れば『好きなこと』を仕事にし、自分らしく自由に働いているように見えるかもしれません。そして最初から今のような立ち位置にいるように思われるかもしれませんが、もちろんそのようなことは不可能ですし、ありえません。

01

10数年前に、僕が初めてのヨガインストラクター育成スクールを修了した当時は、スクールの数もヨガスタジオの数も今よりずっと少なくて、特に指導経験のない男性がヨガの指導者として実践をつめるような機会はなかなかありませんでした。やっとのこと、小さな場所でヨガのクラスを担当するチャンスを与えられ、その後諦めずにコツコツと担当するクラスを増やしていきました。その間数年は休みを取らずに働いていました。余暇という意味での休みはもちろんですが、自分の勉強のためだからといってワークショップやトレーニングに参加するために代講を出すこともせずにいました。当時何でそんなに働くことができるのか?と周りの友人から聞かれましたが、やはりヨガが好きという気持ちが強くあったのと、僕の家族がドックトレナーでしたので、生き物を扱う生業である以上は実質的な休みというものがない状態で日々働いていたのを目の当たりにしていたからだと思います。家族の背中を見てきたことから、好きなことを仕事にするにはその様な生活は当然であると思っていましたし、辛いという気持ちはなくむしろ楽しんでいました。

この世に生を受けて今この場所にいる意味とは、与えられた身体と心を上手に扱いながらどの様に世界と関わっていくのか、その質を高めることにあるとヨガの実践を通じて感じています。
そして、ヨガの教えでは自分の使命(ダルマ)を全うすることが自分と世界との調和であるとされています。世界とつながり、自分の使命(ダルマ)に忠実に生きて行くならば魂と自分が深い絆で結ばれます。それが好きな仕事で自分らしく働くことを通じてなされるのならば、常に情熱的に生き、内からの生命力(オージャス)で満たされそうです。「私らしく働く」ということは、自我(アハンカーラー)を中心に据えた考え方などではなく、自分の使命に従った結果として宇宙からの授かりものであると感じています。そして、ヨガ的な自己実現とは物質的、金銭的な成功とは異なるということを常に心に留めておきたいです。

02

「なりたい自分になる」ということをテーマにヨガをベースとした活動をしていますが、僕のプロフィールにあるヨガ講師という職業、スクールやスタジオのディレクターであるという肩書きは、僕自身の本質ではないとうことをはっきりと認識しています。僕の現在の職種は僕の使命(ダルマ)を全うするのに今のところ最適であるに過ぎないと思っていますし、大そうな肩書きは、僕がイメージしたことを具現化しやすくするための通行証のようなものだと思っています。

僕の興味はヨガの伝統やテクニックを伝えるのみならず、その根底にある本質的な幸せを求めることを通じて自分のあり方を確立し、人の生き方に良い影響を与えることに尽きます。
もしかしたらその広大なテーマをメッセージとして人々に伝えるには、ヨガ講師という立場では限りがあるかなと感じています。その事を裏付けるかのように、僕が信頼を寄せている占星術の先生達からは、今後僕の本質にある創造と破壊の力が大きくはたらき、また新たなることに挑戦を続けていくだろうと教えていただきました。そして今そのはじまりを確かに感じています。

人が情熱を持って自分の仕事(使命)に取り組むことは、今を生きることに他なりません。
確かに今生きているという実感を感じ続けることができるように、目の前にあることに焦点を絞り、集中を絶やさずに先に進んでいきたいです。

「わたしらしく働く!」(服部みれい著、マガジンハウス、2016年)

メメントモリ 死を思うこと|ミッチ・アルボム 「モリー先生との火曜日」

2016/10/04

カテゴリ: Makotoのオフィシャルブログ, ヨガを感じる本を読む, 言葉からのインスピレーション

「いかに死ぬかを学べば、いかに生きるかも学べる」モリー・シュワルツ(社会学者 作家)

所属しているヨガの会社の会長である鷲見会長が、生前にスタッフ自身の葬儀を体験して欲しいのだと懇親会の席でおっしゃっていました。もちろんそれは不謹慎なことではなく、自分の死を体験することですべきこととすべきでないこと、成し遂げるべきことと手放すべきことを明確にするために、人生に本当の意義を見出す事ができるように、との願いが込められているのであろうことを理解することができました。ヨガインストラクター育成スクールにてディレクターを務めさせていただき、所属する講師の教育を担当させていただいている僕は、鷲見会長からインスピレーションを受け、ある本を研修の一貫として必須課題図書に選ぶことを思いついたのです。

ヨガのインストラクターになるための勉強を始めた頃に尊敬していたヨガの先生がいて、その先生のクラスは毎週火曜日でした。呼吸を繊細に感じ取り、ポーズからポーズへ繋ぐムーブメントには感受性豊かな、詩的な表現の言葉が連なり、それがまるで音楽のような、リズム感を生む不思議な心地良さに溢れた素敵なヨガのクラスでした。その先生から勧められた1冊の本がありました。ヨガ的な考え方を身につけたいと、難解なヨガ哲学の解説書を傍に置いてましたが、理解に苦しんでいた頃に紹介された本のことをその頃の懐かしさと共に思い出しました。

「モリー先生との火曜日」と題されたその本は、社会学の学者であり、米国のブランダイス大学の教授であるモリー・シュワルツが、難病である筋萎縮性側索硬化症(ALS)という死に至る神経疾患に侵されながらも、類まれな精神性の高さを持ち続け、死に侵蝕されながらも、人々に勇気を与え続けた真の教師としての生き方を綴ったノンフィクション作品です。

img_0945

モリー先生はひょんなことから、元教え子で、ジャーナリストのミッチ・アルボムと再会を果たします。彼らがモリー先生の授業で毎週火曜日にキャンパスで会っていたように、今度は病床に伏せるモリー先生の自宅に毎週火曜日、モリー先生が肉体を離れるまで全部で14回訪問しました。病に伏せた教授と若きジャーナリストは、教授の人生最後の講義を記録し、この物語のテーマを「人生について」、つまり「死」ということを前提として、今世の人生をいかにして生きるかを大きな題材とし、「世界の現象」「文化」「愛」「感情」「欲望」「恐怖」など、おおよその宗教や哲学が扱う難しい内容を、モリー先生流にシンプルで分かりやすく、また知性や洞察力に溢れた素晴らしい智慧の数々で綴られています。

「死ぬっていうのはね 、悲しいことの一つにすぎないんだよ 。不幸な生き方をするのはまた別のことだ。」

モリー先生の死を前提とした2人の再会でしたが、ミッチが大学を卒業して数十年が過ぎ去り、時は2人を確実に変化させてしまいました。売れっ子のスポーツジャーナリストとして、人から見たら欲しいものをすべて手に入れたように見えるミッチですが、心は空虚で乾いていました。そして、ミッチはモリー先生との再会を喜んでいましたが、心の中では良き生徒でない自分に後ろめたさを感じてさえいたのです。

毎週火曜日に彼らは会い、そして人生の意味を再度考察していきます。先生と生徒という形態ですが、多くの教師がそうであるように、モリー先生もまた、ミッチに教えるということで自らが人生の真意を学んでいたのではないでしょうか?またミッチも再び、モリー先生の教えに触れることによって、みずみずしい感性を取り戻し、心を潤していくのです。

人はだれしもが本質的には生きる意味を求めていると思います。そして、ヨガの世界では、人は使命を持って、この時代、この場所に生を授かったと考えています。モリー先生が社会学というツールを使い 人生の意味を探求していたように、僕たちは、ヨガというツールを使い、自己探求をすることで自分の使命を理解することができるようになります。その使命を本当の意味で理解したのなら、僕たちはどのような態度や振る舞いに変わるのでしょうか?

モリー先生はこの様に語っています。

「みんなまるで夢遊病者なんだな。われわれはこの世界のことを十分に体験していない。それは半分寝ているから。やらなければいけないと思っていることを無反省にやっているだけだから。」

「よけいなものをはぎとって、かんじんなものに注意を集中するようになる。いずれ死ぬことを認識すれば、あらゆることについて見方ががらっとかわるよ。」

死を見据えることができるならば、私達の意識が開かれて、今により焦点を当てることで良き、意義のある人生の展開が可能になるようです。

img_0946

まだ若い頃は、時間やエネルギーが無限にあるように感じていました。しかし肉体には制限があり、魂は無限に存在し続けることを理解している今、この肉体を持って生まれた使命を全うしたいと、モリー先生のメッセージを読みながら思います。

僕が肉体を去ったら、この人生で出逢った人たち、つまり家族や友人やパートナーを愛した証しはどこへいくのか?長い間、このことをどの様に理解したら良いのかと考えていました。この質問にモリー先生はこの様に答えてくれています。

「愛とは死んだあとも生きてとどまるもの。」

死んだあと、親しかった人々にいつしか忘れさられるのが心配でないか?との答えに「愛は生きてとどまる。」とモリー先生は明言します。

肉体を離れて、物質としてこの世界を去ったとしても、愛が記憶や意識してこの大きな宇宙の片隅に記録されるのならば、それは素晴らしいことだと思うのです。

死を見据えるために毎朝
「今日が最後の日か?」
「用意はできているか?」
「すべきことはすべてしているか?」
「なりたいと思う人間になっているか?」
とマントラの様に唱えると良いとモリー先生は言います。

ある朝に、明日がこの肉体を去る日、この人生最後の日だとつげられたとしたら、僕は誰に何を伝えにいくだろうか?
そして誰に「愛している」と伝えにいくだろか?

img_0947

ミッチ・アルボム「モリー先生との火曜日」2004年 NHK出版

ヨガヨムへ寄稿しています。

ドミニック・ローホー「屋根ひとつ お茶一杯 魂を満たす小さな暮らし方」

2016/09/10

カテゴリ: Makotoのオフィシャルブログ, ヨガを感じる本を読む, 言葉からのインスピレーション

「幸せとは今ここにあるのです。真の豊かさとは調和のとれたシンプルな暮らし方を自分自身で習得することです。」 ドミニック・ローホー

ヨガのインストラクターとして数年間勤務したスタジオを卒業して、ヨガインストラクター育成講師としてのキャリアをスタートするのをきっかけに、今まで慣れ親しみ住んでいた部屋を引っ越す決心をしました。ちょうどその頃タイニィハウスという住居スタイルがあるのを知りました。小さなトレーラーハウスに必要最低限のものが揃った小さな空間を潔いと感じ、憧れを抱きました。

それまでは、大きな部屋であることを基準に引っ越しを決めてきました。生活や仕事の基盤が東京にあるのでトレーラーハウスに住むことはできませんが、新生活を始めるにあたり、今までの住まいに対する価値観を改めようと決意しての部屋探しが始まったのです。今までの条件である部屋の広さを撤回したことで、屋根裏部屋のような、不思議で素敵な部屋に巡り会いました。

それからあっという間に数年間が過ぎ、改めて僕の生活空間を見回してみると、お気に入りの小さな部屋が手狭に感じるほどにモノが増え、生活のスタイルを潔くするための選択をしたはずが、たくさんのモノに囲まれ、息苦しいとさえ感じ始めていました。

「やはり、もう少し大きな部屋に引っ越したほうがいいかな?」
と考えている時に、簡素な生活様式を伝える随筆家のドミニック・ローホーさんの作品に出会いました。

img_2310

「屋根ひとつ お茶一杯 魂を満たす小さな暮らし方」と題された作品は、彼女のパリでの屋根裏部屋でのライフスタイルを綴った、「潔さとは何か?」を「衣」「食」「住」にわたり深い洞察をまとめた随筆集です。

ドミニック・ローホーさんが提唱している「シンプルライフ」や、やましたひでこさんが提唱している「断捨離」は、ともに簡素で潔く生きるという意識的な生活様式です。このふたつのコンセプトに基づいた作品を読んでみると、至るところにヨガの考え方と共通するものがあり、ともに著者がヨガから多大なインスピレーションを受けていて、ヨガのコンセプトを実生活でキチンと実践し、生活に生かしていることが良くわかります。

ヨーガ・スートラという、ヨガの考え方に基づいた古典文献では、人生という旅の成功を目指すための8つのステップが用意されているとしています。

その1番目の項目は、自分という人間が自分自身や世界と関わり、交わり合う中で、確実に避けるべき事柄(禁戒)が5つあり、また自分が自分自身や世界との調和を図るための自己浄化として、率先して取り組むべき事柄(勧戒)がさらに5つあるとされています。

そのヨガの古典書が示す「禁戒」と「勧戒」に、飽くことなき欲求に対して節度を保つという考え方(不貪)と、与えられた環境や現状を受け入れて感謝するという考え方(知足)があります。ドミニック・ローホーさんのすべての作品には、ヨガのこのコンセプトをブループリントとして展開されているのだなと感じます。実際に彼女のプロフィールには日本でヨガを実践し学んでいたとあるのです。

「不貪」と「知足」というコンセプトをもとに、衣食住を、特に「住まい」という、僕たちにとって必要不可欠な事柄を、より簡素で潔く整えるための実践的なヒントがたくさん詰まったこの本の序文に、こうあります。

「住まいが私たちにもたらすべきものは、まずは体と精神の安らぎです。私たちは、仕事中でも、それ以外の時間でも、生きる喜びを存分に味わえるように、エネルギーの器を満たしておく必要があります。住まいとは、それを可能にするための、何よりも安らぎと喜びの源であるべきなのです。」

img_2313

「食」や「衣」よりも「住」は、その性質上、人を縛りつけ不自由にしてしまいがちです。

たくさんのモノに囲まれているのは、一見便利で幸福の象徴のように見えたとしても、モノは結局のところ僕達を拘束します。モノは物質である以上はエネルギーなので、たくさんのモノ、不要なモノに囲まれて生活をしているということは、その空間がモノのエネルギーで満たされてしまうといことになりますね。こんな空間の中では、自己滋養のために安らぐということが難しそうです。

自分の生活を簡素で潔く整えるために、誰しもが、小さな家に住み、持ち物を数個に抑えるといことが、すべての人に良きこととは思いません。分相応、身の丈にあったという言葉が示すように、要は、衣食住を自分が管理できる範囲に留めておくことが必要だと感じています。自分が自分でまかなえて、そのモノを管理しながら、かつ有効活用できる範囲のモノだけを身の回りに置きたいです。

そのためにも、僕の今の部屋は、僕にとってはちょうど良い空間を選択することができたなと思います。自分の可動域の中で、今世で最優先すべき課題に取り組めるためにも、簡素で小さな暮らしを愛おしく思える潔さを身につけていたいです。この本のタイトルの通り、簡素で小さな暮らしは、きっと僕の魂を満たすものとなるでしょう。

簡素で潔い暮らし方を自分自身で確立することが、今、ここに焦点を当てる能力を育むようです。幸せが今、ここにあるということをつぶさに感じていくために、さあ、今もう一度この小さな空間を細やかに見回し、必要なモノと不必要なモノ、すべき事柄とすべきでない事柄を明確に見極めることに挑戦しようと思います。愛着のあるソファとテーブルにはお別れをして、小さなリビングの中心にはヨガマットを、その片隅にはメディテーションのためのクッションを置き、プラクティスを繰り返し行っていこうと思います。

img_2311

ドミニック・ローホー「屋根ひとつ お茶一杯 魂を満たす小さな暮らし方」 2015年 講談社

ヨガヨムへ寄稿しています。

ページ上部へ戻る