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手放すことで自らの人生を取り戻す|ジョシュア・フィールズ・ミルバーン+ライアン・ニコデマス「あるミニマリストの物語」

2016/10/24

カテゴリ: Makotoのオフィシャルブログ, ヨガを感じる本を読む

「自分の外側にあるものに根本を置いている間は、決して幸福感も充足感も味わえることはないだろう。自分の内側から出てくるものこそ必要なものである。」

ジョシュア・フィールズ・ミルバーン
ライアン・ニコデマス
(ミニマリズム活動家、作家)

物や人との交流に溢れ、混沌としている現代において、ミニマリズムという考え方や生き方があり、ミニマリストという、その考え方や生き方を体現し表現している人々がいるようです。

情報過多で物質至上主義にある現代において人間らしくあり、自分らしく現代を生き抜こうとするその生き方には、どのような特徴があるのでしょうか?

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ミニマリズムの定義とは、最小限主義、無駄なものを極限まで省き、シンプルにすることで人間の本質を浮き彫りにしていくという1960年代に芸術のスタイルとして現れたものが1990年代に再度ファッションの流行として現れ、ヘルムート ラングそして、マルタン マルジェラなどのアントワープ派といわれるデザイナー達がそれまでのファッションの世界に反旗を翻し、全く新しいコンセプトを生み出したのです。彼らのデザインはハイブランドにも大きな影響力を与え、プラダなどの大手メゾンがリアルクローズと名を打ちシンプルかつ実用的なデザインを展開していました。しかし、時代はまだ1960年代の前衛的なアートの表現には追いつかずに1990年代はデザインのみがミニマム(最小限)でありその他は全てにおいてマキシマム(最大限)であることを人々はまだ求めていました。

そして2011年頃からこのミニマリズムという定義を自らの消費行動に照らしあわせて、持ち物や生活全般、そして仕事に対して応用させ人生を再検証することで自らの人生を取り戻し、自己実現させる人々が現れたようです。かられは自らをミニマリストと名乗り、彼らのコンセプトやライフスタイルがここ数年で瞬く間に浸透しているように見えます。

ジョシュア・フィールズ・ミルバーンとライアン・ニコデマスはこのミニマリズムを実践し「The Minimalists」という二人組のユニットを立ち上げて、彼らのウェブサイト「TheMinimalists.com」を通じエッセイや映像のメッセージを発信し、世界中の人々に情熱を持って生きることを提案しています。

彼らの作品である「あるミニマリストの物語」は、若くして成功し、アメリカンドリームの真っただ中にいた二人が、年々上がる自分の役職や年収に酔いながら物欲をどんどんと満たしていく中で、ある本質に気付いていく物語です。まずジョシュアが母の死後に彼女のアパートメントを片付け、そのガラクタの多さに途方にくれ、自分の物に溢れた家に帰り、物の持つネガティブなエネルギーに気づき、物は人を豊かにはせずに、逆に束縛し、苦しめるるということを理解します。そして、ジョシュアに影響を受けたライアンは自らの物に溢れた部屋の品々を引っ越し用のダンボール箱にパッキングし、箱の表面に品物の名を明記、その中の物が必要になったら開けるという方法を試します。結局ライアンは3週間の間に約20パーセント程度の物しか箱から取り出しておらず、後生大事にとっておいた物達はそのほとんどが不用品であると判断し、彼にとっての優先事項が何なのかを明らかにする良き機会となったのです。

二人は自己実現を果たすためには物や社会的な地位、そして沙汰な交友関係は必要ではないと気づきます。自分達の人生を再検証し、身の周りを極限までそぎ落としていくことで本当に必要な物や人は誰なのかを見極め、自分が情熱を傾けられる使命に没頭することを生業としようと決意するのです。そして、二人からなるユニットを立ち上げ、ウェブサイトを通じて執筆活動を始めます。

彼らの気づきが本文にはこのように記されています。

「本当の安心というのは、僕らの内部にあるものであり、継続的に成長することであって、決して外的要素の成長に頼ったものではない。真の意味で安心させてはくれない事物を求める、その外的な欲求をなくしてしまえば、僕らは自分のフォーカスを自分の内部へと向けることができ、周囲にある品物を崇拝することは無くなるはずだ」

彼らの物語を読み進める中で、2人の人生がマキシマム(最大限)からミニマム(最小限)に変容を遂げる軌跡がヨガのメッセージ(哲学)と交差していることに僕は気づきました。

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ヨガの原点であるヴェーダという古代の文献には人間には4つの願望(プルシャ・アルタ)があると記されていて、それらは、安全(アルタ)、悦び(カーマ)、調和(ダルマ)、本質的な幸せ(モークシャ)であるとされています。一見するとヨガは厳しく禁欲的な印象を多くの人が思い描いていると思います。けれどもヨガでは欲望を抱くこと自体にはおとがめを立ててはいません。人生を通じて、僕たちが行う活動の多くは安全と悦びに焦点が向けられています。しかし、彼らは安全と悦びをどれだけ手に入れても常に空虚を感じていて、決して満たされることがありませんでした。そして、物や人間関係の手の入れ方が調和に基づいていないことに気づくのです。つまりは、自分の身の丈にあったやり方や自分らしいやり方で手に入れていないことを痛感します。そして、情熱を傾けられる仕事や、他者への貢献、そして自分の使命へと向かっていきます。最終的にジョシュアやライアンも安心や悦びのみを必要以上に追い求めることは本質的に自分を幸せには導かないことに気づきます。

ヨガでは本質的な幸せに自分自身を導く為に8つのプログラムがあるとされています。(ヨガの8支則/アシュタンガヨガ)その中であらゆる物事に執着せずに、必要以上の物事を抱え込まない(負貪/アパリグラハ)という教えや、与えられた物事に感謝し満足をする(知足/サントーシャ)という教えがあり、これらを実生活の中でのすべきこと・すべきでないこととして実践しなさいと推奨しています。

現代のミニマリストたちがヨガの教えに影響を受けているのかはわかりませんが、彼らの考え、そして行動は、ヨガの教えである「不貪」や「知足」と全く同じであり、ヨガとの共時性を感じます。

僕たちには身体と心を使い、世界や他者とどのように関わっていくのか、どのように社会や他者へ貢献ができるのか、といった共通の課題を持っています。

そしてさらに僕たちにはそれぞれ、個人の使命があるとされています。2人の物語の中で彼らははっきりと自分の使命に焦点を当てることをこのように宣言しています。

「僕は生きていく中で何かもっと意味のあることをしていきたいという思いを持っている。情熱を燃やせることをやりたい。『自分の情熱に従え』だとか『人生においてやるべきことをやれ』という文句には、大それた宣言として成文化されたイメージがあるけれど、僕はただ単純に、自分の使命を見つけるということを言いたいだけだ。」

身体と心を駆使して、世界や他者と関わっていく中で、僕たちは皆自分の使命を見つけ出していくのだと思います。その過程においてあふれ返る物やたくさんの情報は、本質を見極めることの障害となるのだと思います。しかし多くのミニマリストの人達が行っているような持ち物を数十個程度におさめるということをいきなり実践することは、なかなか難しそうです。そして本来持ち物の数とはその人の許容範囲によるのだと思います。その人の経済的な条件や物を管理し活用できるのかどうかといった条件の振り幅が、物の数を左右するのだと思います。

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現在の僕は、地方にて長期滞在で仕事をしています。

東京での住まいを数十個の物に絞ることはハードルが高いので、まずこの滞在中にできるだけ少ない持ち物にしようと思い、機内持ち込み可能なトランク1つとL.L.beamの大きなトートバックに必要だと思われる物を詰め込みました。そして最低限の家具や家電のあるマンスリーマンショから仕事場であるヨガのスクールへと通っています。今のところ東京から持ってきたもので十分に生活ができています。仕事の量としては東京にいる頃と何ら変わりませんが、東京にいた頃は時間がないと常に感じ、自分の情熱を傾けるべきことを後回しにして出来ずにいました。しかし、ここでは自分の時間をきちんと確保することができます。どうやら多くの物やたくさんの人間関係を抱え込もうとするあまりに自分の焦点がぼやけてしまい、足りないという錯覚を起こしていたようです。この錯覚はもちろん物質や人との交流にも当てはまりそうですね。「物は多い方が良い」「大は小を兼ねる」「情報源を沢山持つことは素晴らしい」「友達は多い方が良い」などといった今までの僕たちの価値観を根底から見直すことが多くの人達にとっても必要ではないでしょうか。

不思議なことにヨガの世界で考えている時間のサイクルでは、ミニマリストの人々が現れだしたあたりから時代が変革を始めていると考えられています。それまでの物質中心で闘争的な世界から、調和を保ち、精神的なものに重きをおく時代へと人々の意識が変わり始めるとされているのです。

この本の原題は「Every Thing That Remains」とあり「後に残った全ての物」と訳すことができます。残った物とは実際に物資的な物だけでなく、生きる上での思考や人との関係も含まれるのでしょう。そしてそれら残った物全ては、愛おしく大切な物ばかりでしょう。そしてこの物語は単に片付けの仕方や収納方法を伝えるハウツー本ではもちろんありません。物や人そして、時間を貪らなくても今この現状だけで十分に満足が得られるはずであり、その潔い態度はきっとまっすぐに自分の使命へと向かわせてくれることを示す哲学的な物語です。

前衛的な劇作家そして演出家の寺山修司は1960年代終わりに「書を捨てよ、町へ出よう」と言いました。2000年代の今「物を捨てよ、自分の内面へと向かおう」と声高らかに宣言し、僕たちが情熱を持って生き、自分の使命を見つけることができたならば、魂が喜び、僕らの生活や人生が有意義なものになるでしょう。多くの物を手放すことで僕たちの生命のあり方が顕になり、人生を取り戻すことが可能になります。

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「あるミニマリストの物語-僕が余分なものを捨て人生を取り戻すまで-」ジョシュア・フィールズ・ミルバーン(2016年、フィルムアート社)

ヨガヨムへ寄稿しています。

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