Makotoのオフィシャルブログ

魂によりそうもう一つの魂|城山三郎「そうか、もう君はいないのか」

2017/11/02

カテゴリ: Makotoのオフィシャルブログ, ヨガを感じる本を読む, 自己探求, 言葉からのインスピレーション

「彼女はもういないのかと、ときおり不思議な気分に襲われる。容子がいなくなってしまった状態に、私は上手く慣れることができない。ふと、容子に話しかけようとして、われに返り、『そうか、君はいないのか』となおも容子に話しかけようとする。

城山三郎 作家

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読書の秋となりましたね。
今年の秋は「愛」をテーマに「カップリング」や「リレーションシップ」について考えてみたいと思い立ち、いくつかの本の中から、城山三郎さんという作家の「そうか、君はもういないのか」というエッセイを選びました。それまでこの作家の名前も知らず、作品を読んだこともありませんでした。城山さんの他の作品は骨太な男性が主人公。経済小説や歴史小説など硬派な印象の作品で、おおよそ僕の好みではない作風だと思っていたのです。
ただ「そうか、もう君はいないのか」という書籍のタイトルを見た時に何とも言えない切ない気持ちがこみあげてきて、最愛の人を失う喪失感とはいったいどんなものなのだろうとこの本を手に取ってみました。

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ヒンドゥー教を背景とする伝統的なヨガの教えでは、出家しないのであればパートナーを持ち、共に家庭を築くことが美徳とされています。他者を信頼し愛しながら共に歩んでいくことは、出家して修行にいそしむことと同じく尊いことであると考えられているのかもしれません。一人の人間が他者と出会い、肉体を離れるまで共に人生を歩むということは神秘的ですらあると感じます。

この本は数多くの作品を残してきた作家、城山さんが、先立たれた最愛の人との出会いから別れまでを綴った彼の最後の作品でもあります。城山さんとパートナーの容子さんの出会いはまるで映画のよう。作家を志す城山さんが図書館に出かけていったところ、図書館は休館日。同じく図書館の前で休館であることに肩を落としていた容子さんをみそめ会話がはじまり二人は一瞬で恋に落ちてしまいます。しかし、容子さんのお父様からの反対があり二人は離れ離れになってしまいます。そして数年後に名古屋のダンスホールで運命的な再会をはたし再び恋に落ち、ほどなくして結婚を決意するのです。城山さんが26歳そして容子さんが22歳の時でした。

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運命の人とは本当にいるのでしょうか?
この二人のロマンティックな愛の物語はまぎれもなくノンフィクションであり、運命の人はいると思わずにはいられません。

城山さん達カップルが出会った時代とは違い、現在はたくさんの情報に触れることができますね。人と人とのつながりもインターネットやSNSを通じ、過去とは桁違いの出会いがあります。多くの機会に恵まれる一方で、城山さん達のようなドラマティックな思い出を共有する人に巡り合える人は一体どれくらいいるのでしょうか?

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多くの人がSNSのカップリングアプリでカタログから商品を選ぶように出会いを求めるなか、人は感覚器官を駆使して選択を繰り返し行っているのだと思います。
一般的に男性は視覚判断のできる情報、つまり外見を元に、女性は安全と安心が満たされる条件、つまり相手の持っているスペックでパートナーを選ぶ傾向にあるように思われます。それは本能とも言えるかもしれないし、僕たちの原始的な部分の脳にプログラムされていることなのかもしれません。また男性であれば動機が家事代行的な利便性であったり、女性であれば子どもを持つという願望であったり、どちらとも契約的な側面が強いように感じてしまいます。
しかし、前時代的な男性性や女性性というジェンダーが曖昧になっている現代では、男性も女性もヨガで重要としている自立が促されているように思います。よって理想的なカップリングにはお互いの条件の合意ではなく個々の価値観の合意やその人自身の在り方が重要であると思います。

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城山さんは結婚当初には大学での講師の仕事と作家としての活動を平行していました。その後、作家ひとすじで生きていくようになり、容子さんがそれを全面にサポートしていきます。城山さんが作家として仕事に専念し多くの作品を世に残すことができたのは容子さんの存在なくしては成し遂げられなかったのではないかと思います。また二人の間には女の子と男の子の二人の子供に恵まれました。家族四人で生活する中で二人の子ども達は、立派に成人し親元を離れていきましたが、その後も城山さん達家族がかたい絆で結ばれていたことが本文や娘さんのあとがきからもうかがえます。人生において一つの段落が落ち着いたことを城山さんはこの様に述べています。

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「人生の一区切りがあって、夫婦二人になるという気分は、良くも悪くも、独特なもの。しかし、いつか二人きりでいることにも慣れてしまえるが、やがて永遠の別れがやってくる。」

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余生を二人で楽しむことに慣れ始めた矢先に、容子さんの病が発覚してしまいます。容子さんが肉体を離れるまでの間、献身的に看病をする城山さん。このエッセイには容子さんと共に歩んだ幸せな日々の思いでが語られ、二人の深い絆や愛が文面から伝わり、一人の人を最後まで愛することの尊さが僕の胸を打ちました。

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ヨガでは人生を経験する場であると考え、僕達の身体や五感、そして心は経験をするためのツールとして使いこなす必要があり、今世とは自分の魂が意図した経験を十分に味わうためにあるのだと教えます。城山さんが多くの作品を創作し世に残したことは彼の魂が意図したことです。そして、それを容子さんが常に内需の功で支えたのは、彼女の魂の計画であるのだと思います。城山さんの魂によりそうようにあったもう一つの容子さんの魂の存在があったからこそ、彼のインスピレーションの源泉は満たされつづけたのでしょう。そして、その奇跡は、容子さんの死後をも続きました。物質である容子さんの肉体はこの世を去りましたが、彼女の魂は城山さんの魂によりそい続けることが出来たのです。

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魂が意図した経験を十分に味わうためには、強い身体と心が必要です。経験に対して僕たちの身体が整い、心がオープンでいるために、アーサナやプラナヤーマそして瞑想の実践を続けていきます。時に試練に挑むということが必要な場面もたくさんあるでしょう。その時に僕の魂に寄り添ってくれるもう一つの魂があるのなら、今世という旅の経験に勇気をもって取り組むことができ、この旅の終わりには深い満足が得られるに違いありません。

そうか、もう君はいないのか」 城山三郎 著
2008年新潮社

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