Makotoのオフィシャルブログ

目的を見極めること

2016/10/21

カテゴリ: Makotoのオフィシャルブログ, 自己探求

僕のクラスやワークショップ、そしてトレーニングに参加してくださる方たち、つまりヨガのアーサナを実践するだけでなく、「学ぶ」方たちにいつも強調してお伝えしていることがひとつあります。

「そのアーサナの一番の目的を明確に把握してください。」

と。繰り返し、繰り返しお伝えしているメッセージです。

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特定のアーサナは、属性やバックグラウンドを必ず持ち合わせています。立位のアーサナなのか、座位のアーサナなのかという属性や前屈や後屈、回旋のアーサナなのかという属性、そしてその動きを司る関節は身体の中でどの様に動くのかを、分析し理解していくのです。

アーサナの練習において、アーサナを「カタチ」だけで取り組もうとする観察力の過不足が、洞察力と結びつかなくなってしまい、そのことが特定のアーサナでの目的が不明確になってしまうことによりアーサナの実践にそぐわない葛藤が生まれてしまいます。

ヨガ・スートラという、瞑想を伝えるインドの古典文献によると、ヨガの実践を絶え間なく続けていると、とめどなく動き続ける心の在り方を見定めることができると教えています。

そのヒントが身体を使うハタヨガにあります。

ハタヨガとは、瞑想に重きを置き伝える、ヨガ・スートラ以降に発展した、身体や呼吸をツールとしたヨガのテクニックの総称です。

では次に、ハタヨガの実践を繰り返し行うことで、どのように見極める力が育まれるのかを見ていきましょう。

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ハタヨガの練習時にがむしゃらに取り組むのではなく、またやみくもにアーサナに歯を食いしばって取り組むのでもなく、もっと意識的に取り組みをしていきたいです。ハタヨガの実践から得られる効果を、身体の機能向上や生理学的機能を整えるだけではなく、本当の意味での“恩恵”を享受したいです。

そのためにはアーサナに慣れ親しみ、特定のアーサナが持つ属性や 要素を分析します。

ヨガのアーサナの種類はたくさんあります。また、ヨガのアーサナは、ダイナミックで複数の関節を複合的に動かすことで構成されていますので、シンプルな運動に比べるととても複雑です。そして、アーサナ本来の力強さや美しさに圧巻されてしまうばかりに、そのアーサナの持っている「本質的な目的」を見失いがちになります。自分の身体やアーサナの中で戸惑い、迷子にならないためにも、アーサナの持つ要素をひとつひとつ丁寧に知っていきます。

まず、そのアーサナが持つ属性、つまり基本的な姿勢に注目し、立位や座位、前屈や後屈、回旋等に、アーサナをおおまかなグループに分けます。その後、そのアーサナにおいて大きな関節、つまり足首や膝、股関節、肩関節の動きを理解し、書き出してみます。たったそれだけのことで、そのアーサナのポイントであり、一番の目的が浮き彫りとなり、明確になります。

それは一見すると、とても単純なことですが非常に重要なことであると僕は考えています。

ヨガの実践を生活に取り入れて習慣化している人には、そのアーサナにおいて最優先事項と、あえて手放すことがはっきりすることで、実践の内容がより濃く明確になることで有意義な時間となります。またハタヨガの指導を行いライフワークとしている人にとっては、たくさんある情報を取捨選択することで、伝えるべきこと、あえて伝えないことがはっきりし、指導内容がシンプルになることでより多くのことが生徒に伝わるでしょう。

アーサナを分析してみて、そのアーサナの目的が明確になったなら、自分は何をすべきで、何をすべきでないのかがはっきりすることで、複雑かつ複合的なアーサナも、実はヨガのメッセージ(哲学)同様に、非常にシンプルで明快であることに気づくことができます。その過程で僕たちは自分の身体を俯瞰することになります。

目的が明確になっていることで、身体の探求はより易しくなり、深い呼吸と共に自分の身体を観察する余裕が生まれます。その余裕が安定と快適さ(スティラとスッカ)を生み出し、観察力が育まれることで洞察力へと昇華します。また洞察力と直感が強く結び付くことで僕たちは物事の本質を見極める力がつきます。

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「どの様な種類(流派)のヨガを実践し、指導しているのですか?」
とよく周りの方々から尋ねられます。僕は特定の流派をフォローしてはいなのですが、「アライメントを重視したハタヨガ」、あるいは、「アライメントに重きを置いたフロースタイルのヨガ」を実践し伝えていますと答えています。ヨガのアライメントとは、特定のアーサナにおける正しい関節の動かし方、身体の使い方、それによるエネルギーの流れを指します。アーサナにおける完成形や見た目の美しさを追求しているのではなく、自己の意識を高めるために、アーサナを自己探求の道具とする時に、それを使いこなす道具としてアライメントを使います。もし目的が不明確であれば、便利なアライメントという道具も意味を持たずに、単にアーサナの完成形に固執するという葛藤を生み出し兼ねません。「囚われている自己」というイメージを解放するためのヨガが、いつしかアーサナに囚われてしまうことで、自己のイメージがさらに限定されてしまうという落とし穴にも陥りかねませんね。もちろん自分や生徒の身体の安全を守るためにも、この道具は大変有効なのです。

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心が彷徨い、葛藤が苦悩へと繋がってしまわないようにするために、ヨガ・スートラでは繰り返しヨガの実践(アビヤーサ)と見極める力(ヴァイラーギャ)のふたつが必要であると説いています。ハタヨガの練習で特定のアーサナが持つ属性を理解し、アーサナが持つ要素を分析し、その中からアーサナの一番の目的を割り出し、焦点を定めることでその見極める力が養われます。
マットの上で繰り返し実践したことは身となり、きっと実生活でも本質を見極める目が手に入ります。その時、それまで過剰に動いていた自分の心が静かに治まる様子を目撃することでしょう。

メメントモリ 死を思うこと|ミッチ・アルボム 「モリー先生との火曜日」

2016/10/04

カテゴリ: Makotoのオフィシャルブログ, ヨガを感じる本を読む, 言葉からのインスピレーション

「いかに死ぬかを学べば、いかに生きるかも学べる」モリー・シュワルツ(社会学者 作家)

所属しているヨガの会社の会長である鷲見会長が、生前にスタッフ自身の葬儀を体験して欲しいのだと懇親会の席でおっしゃっていました。もちろんそれは不謹慎なことではなく、自分の死を体験することですべきこととすべきでないこと、成し遂げるべきことと手放すべきことを明確にするために、人生に本当の意義を見出す事ができるように、との願いが込められているのであろうことを理解することができました。ヨガインストラクター育成スクールにてディレクターを務めさせていただき、所属する講師の教育を担当させていただいている僕は、鷲見会長からインスピレーションを受け、ある本を研修の一貫として必須課題図書に選ぶことを思いついたのです。

ヨガのインストラクターになるための勉強を始めた頃に尊敬していたヨガの先生がいて、その先生のクラスは毎週火曜日でした。呼吸を繊細に感じ取り、ポーズからポーズへ繋ぐムーブメントには感受性豊かな、詩的な表現の言葉が連なり、それがまるで音楽のような、リズム感を生む不思議な心地良さに溢れた素敵なヨガのクラスでした。その先生から勧められた1冊の本がありました。ヨガ的な考え方を身につけたいと、難解なヨガ哲学の解説書を傍に置いてましたが、理解に苦しんでいた頃に紹介された本のことをその頃の懐かしさと共に思い出しました。

「モリー先生との火曜日」と題されたその本は、社会学の学者であり、米国のブランダイス大学の教授であるモリー・シュワルツが、難病である筋萎縮性側索硬化症(ALS)という死に至る神経疾患に侵されながらも、類まれな精神性の高さを持ち続け、死に侵蝕されながらも、人々に勇気を与え続けた真の教師としての生き方を綴ったノンフィクション作品です。

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モリー先生はひょんなことから、元教え子で、ジャーナリストのミッチ・アルボムと再会を果たします。彼らがモリー先生の授業で毎週火曜日にキャンパスで会っていたように、今度は病床に伏せるモリー先生の自宅に毎週火曜日、モリー先生が肉体を離れるまで全部で14回訪問しました。病に伏せた教授と若きジャーナリストは、教授の人生最後の講義を記録し、この物語のテーマを「人生について」、つまり「死」ということを前提として、今世の人生をいかにして生きるかを大きな題材とし、「世界の現象」「文化」「愛」「感情」「欲望」「恐怖」など、おおよその宗教や哲学が扱う難しい内容を、モリー先生流にシンプルで分かりやすく、また知性や洞察力に溢れた素晴らしい智慧の数々で綴られています。

「死ぬっていうのはね 、悲しいことの一つにすぎないんだよ 。不幸な生き方をするのはまた別のことだ。」

モリー先生の死を前提とした2人の再会でしたが、ミッチが大学を卒業して数十年が過ぎ去り、時は2人を確実に変化させてしまいました。売れっ子のスポーツジャーナリストとして、人から見たら欲しいものをすべて手に入れたように見えるミッチですが、心は空虚で乾いていました。そして、ミッチはモリー先生との再会を喜んでいましたが、心の中では良き生徒でない自分に後ろめたさを感じてさえいたのです。

毎週火曜日に彼らは会い、そして人生の意味を再度考察していきます。先生と生徒という形態ですが、多くの教師がそうであるように、モリー先生もまた、ミッチに教えるということで自らが人生の真意を学んでいたのではないでしょうか?またミッチも再び、モリー先生の教えに触れることによって、みずみずしい感性を取り戻し、心を潤していくのです。

人はだれしもが本質的には生きる意味を求めていると思います。そして、ヨガの世界では、人は使命を持って、この時代、この場所に生を授かったと考えています。モリー先生が社会学というツールを使い 人生の意味を探求していたように、僕たちは、ヨガというツールを使い、自己探求をすることで自分の使命を理解することができるようになります。その使命を本当の意味で理解したのなら、僕たちはどのような態度や振る舞いに変わるのでしょうか?

モリー先生はこの様に語っています。

「みんなまるで夢遊病者なんだな。われわれはこの世界のことを十分に体験していない。それは半分寝ているから。やらなければいけないと思っていることを無反省にやっているだけだから。」

「よけいなものをはぎとって、かんじんなものに注意を集中するようになる。いずれ死ぬことを認識すれば、あらゆることについて見方ががらっとかわるよ。」

死を見据えることができるならば、私達の意識が開かれて、今により焦点を当てることで良き、意義のある人生の展開が可能になるようです。

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まだ若い頃は、時間やエネルギーが無限にあるように感じていました。しかし肉体には制限があり、魂は無限に存在し続けることを理解している今、この肉体を持って生まれた使命を全うしたいと、モリー先生のメッセージを読みながら思います。

僕が肉体を去ったら、この人生で出逢った人たち、つまり家族や友人やパートナーを愛した証しはどこへいくのか?長い間、このことをどの様に理解したら良いのかと考えていました。この質問にモリー先生はこの様に答えてくれています。

「愛とは死んだあとも生きてとどまるもの。」

死んだあと、親しかった人々にいつしか忘れさられるのが心配でないか?との答えに「愛は生きてとどまる。」とモリー先生は明言します。

肉体を離れて、物質としてこの世界を去ったとしても、愛が記憶や意識してこの大きな宇宙の片隅に記録されるのならば、それは素晴らしいことだと思うのです。

死を見据えるために毎朝
「今日が最後の日か?」
「用意はできているか?」
「すべきことはすべてしているか?」
「なりたいと思う人間になっているか?」
とマントラの様に唱えると良いとモリー先生は言います。

ある朝に、明日がこの肉体を去る日、この人生最後の日だとつげられたとしたら、僕は誰に何を伝えにいくだろうか?
そして誰に「愛している」と伝えにいくだろか?

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ミッチ・アルボム「モリー先生との火曜日」2004年 NHK出版

ヨガヨムへ寄稿しています。

ドミニック・ローホー「屋根ひとつ お茶一杯 魂を満たす小さな暮らし方」

2016/09/10

カテゴリ: Makotoのオフィシャルブログ, ヨガを感じる本を読む, 言葉からのインスピレーション

「幸せとは今ここにあるのです。真の豊かさとは調和のとれたシンプルな暮らし方を自分自身で習得することです。」 ドミニック・ローホー

ヨガのインストラクターとして数年間勤務したスタジオを卒業して、ヨガインストラクター育成講師としてのキャリアをスタートするのをきっかけに、今まで慣れ親しみ住んでいた部屋を引っ越す決心をしました。ちょうどその頃タイニィハウスという住居スタイルがあるのを知りました。小さなトレーラーハウスに必要最低限のものが揃った小さな空間を潔いと感じ、憧れを抱きました。

それまでは、大きな部屋であることを基準に引っ越しを決めてきました。生活や仕事の基盤が東京にあるのでトレーラーハウスに住むことはできませんが、新生活を始めるにあたり、今までの住まいに対する価値観を改めようと決意しての部屋探しが始まったのです。今までの条件である部屋の広さを撤回したことで、屋根裏部屋のような、不思議で素敵な部屋に巡り会いました。

それからあっという間に数年間が過ぎ、改めて僕の生活空間を見回してみると、お気に入りの小さな部屋が手狭に感じるほどにモノが増え、生活のスタイルを潔くするための選択をしたはずが、たくさんのモノに囲まれ、息苦しいとさえ感じ始めていました。

「やはり、もう少し大きな部屋に引っ越したほうがいいかな?」
と考えている時に、簡素な生活様式を伝える随筆家のドミニック・ローホーさんの作品に出会いました。

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「屋根ひとつ お茶一杯 魂を満たす小さな暮らし方」と題された作品は、彼女のパリでの屋根裏部屋でのライフスタイルを綴った、「潔さとは何か?」を「衣」「食」「住」にわたり深い洞察をまとめた随筆集です。

ドミニック・ローホーさんが提唱している「シンプルライフ」や、やましたひでこさんが提唱している「断捨離」は、ともに簡素で潔く生きるという意識的な生活様式です。このふたつのコンセプトに基づいた作品を読んでみると、至るところにヨガの考え方と共通するものがあり、ともに著者がヨガから多大なインスピレーションを受けていて、ヨガのコンセプトを実生活でキチンと実践し、生活に生かしていることが良くわかります。

ヨーガ・スートラという、ヨガの考え方に基づいた古典文献では、人生という旅の成功を目指すための8つのステップが用意されているとしています。

その1番目の項目は、自分という人間が自分自身や世界と関わり、交わり合う中で、確実に避けるべき事柄(禁戒)が5つあり、また自分が自分自身や世界との調和を図るための自己浄化として、率先して取り組むべき事柄(勧戒)がさらに5つあるとされています。

そのヨガの古典書が示す「禁戒」と「勧戒」に、飽くことなき欲求に対して節度を保つという考え方(不貪)と、与えられた環境や現状を受け入れて感謝するという考え方(知足)があります。ドミニック・ローホーさんのすべての作品には、ヨガのこのコンセプトをブループリントとして展開されているのだなと感じます。実際に彼女のプロフィールには日本でヨガを実践し学んでいたとあるのです。

「不貪」と「知足」というコンセプトをもとに、衣食住を、特に「住まい」という、僕たちにとって必要不可欠な事柄を、より簡素で潔く整えるための実践的なヒントがたくさん詰まったこの本の序文に、こうあります。

「住まいが私たちにもたらすべきものは、まずは体と精神の安らぎです。私たちは、仕事中でも、それ以外の時間でも、生きる喜びを存分に味わえるように、エネルギーの器を満たしておく必要があります。住まいとは、それを可能にするための、何よりも安らぎと喜びの源であるべきなのです。」

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「食」や「衣」よりも「住」は、その性質上、人を縛りつけ不自由にしてしまいがちです。

たくさんのモノに囲まれているのは、一見便利で幸福の象徴のように見えたとしても、モノは結局のところ僕達を拘束します。モノは物質である以上はエネルギーなので、たくさんのモノ、不要なモノに囲まれて生活をしているということは、その空間がモノのエネルギーで満たされてしまうといことになりますね。こんな空間の中では、自己滋養のために安らぐということが難しそうです。

自分の生活を簡素で潔く整えるために、誰しもが、小さな家に住み、持ち物を数個に抑えるといことが、すべての人に良きこととは思いません。分相応、身の丈にあったという言葉が示すように、要は、衣食住を自分が管理できる範囲に留めておくことが必要だと感じています。自分が自分でまかなえて、そのモノを管理しながら、かつ有効活用できる範囲のモノだけを身の回りに置きたいです。

そのためにも、僕の今の部屋は、僕にとってはちょうど良い空間を選択することができたなと思います。自分の可動域の中で、今世で最優先すべき課題に取り組めるためにも、簡素で小さな暮らしを愛おしく思える潔さを身につけていたいです。この本のタイトルの通り、簡素で小さな暮らしは、きっと僕の魂を満たすものとなるでしょう。

簡素で潔い暮らし方を自分自身で確立することが、今、ここに焦点を当てる能力を育むようです。幸せが今、ここにあるということをつぶさに感じていくために、さあ、今もう一度この小さな空間を細やかに見回し、必要なモノと不必要なモノ、すべき事柄とすべきでない事柄を明確に見極めることに挑戦しようと思います。愛着のあるソファとテーブルにはお別れをして、小さなリビングの中心にはヨガマットを、その片隅にはメディテーションのためのクッションを置き、プラクティスを繰り返し行っていこうと思います。

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ドミニック・ローホー「屋根ひとつ お茶一杯 魂を満たす小さな暮らし方」 2015年 講談社

ヨガヨムへ寄稿しています。

身体の空間を感じ解放すること

2016/09/01

カテゴリ: Makotoのオフィシャルブログ, ヤムナ

「制限、痛み、不快感は身体の中で空間が失われることに由来する」(Restriction, pain, discomfort are caused by lack space.)
ヤムナ ゼイク(ヨガ指導者、ヤムナ®創設者)

皆さんは自分自身の身体をどのように捉え感じていますか?
また身体と密接に繋がっている心を、常日頃どのように把握しているのでしょうか?

ヨガでは身体を私たちの魂が宿る「棲家(すみか)」であると例えます。あるいは今世を旅する「乗り物」であるとも表現されます。要は一時、神様、または宇宙の摂理から授かった道具です。現代に生きる僕たちは複数のガジェットを使いこなし、様々な情報を一括で管理することができています。けれども本来自分の一番近しい持ち物としての「身体」や「心」については、多くの人にとって、無頓着で、おおよそ使いこなしているとは言い難い状況ではないでしょうか?

僕たちが身体や心に対して無頓着であり続けたことに対して「つけ」としてそれは、痛みや不快感として現れます。その時に僕たちは痛みや不快感の原因の本当の出所を見ずに、局所的にその痛みや不快感を取り除こうと躍起になりますが、一向に改善しないということが多いようです。いわゆる対処療法です。

Yamuna®の創設者でありヨガ指導者でもあるヤムナ ゼイクは、この痛みの根幹は、身体の空間が損失されることにより引き起こされると明言しています。

捻挫や筋肉の炎症、そして腰痛などで痛みがある場合は、身体の特定の部位に圧迫が起こり、制限が生じています。一般的に、関節の痛みや筋肉の委縮そして炎症や神経痛が起こっている時には、その部位あるは関連する他の部位に十分な空間が保たれていません。そして、そもそも本来持っていたはずの空間を感じることが難しかったり、空間が損なわれている感覚に気づけなかったりすることが多くなってしまいます。

この現実をどのように改善すれば、僕たちは身体という鎧から自由になることができるのでしょうか?

まず自分の身体に起きていることを感じることが難しいのであれば、何らかの形で身体の知覚を目覚めさせることが必要です。そこでYamuna®の特殊なボールを主要な関節に当てて、特定の筋肉の始まりから終わりにかけてボールをローリングすることで、骨にへばりつき硬縮した筋肉や異なる筋肉同士の癒着を緩めて解き放ちます。そうすることで、その部位の失われていた感覚が蘇り、多くの人が自分の身体に起きている現実に目を覚まします。

その感覚を目の当たりにした時に、本来持っていた身体の空間を懐かしむように思い出すのです。

Yamuna®のワークは、実際にどのように身体に空間を作っていくのでしょうか?

まずヤムナが開発した数種類の大きさや硬さがあり、空気の出し入れが可能なボールを、筋肉の始まりである骨との結合部分の健にボールを置きます。骨や腱に刺激を送り、筋肉より前に働きかけることにより、筋肉全体が緩んでくると考えています。またボールの上でバランスを見つけ、それを維持し、自分の体重をかけて深く沈みこみます。そしてボールが置かれているポイントを意識し、呼吸を届けるようにイメージすることで、呼吸が細胞をリリースしてくれます。すると筋肉が溶けて、リラックスし始めるのです。

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ボールをローリングしていく時に、筋肉の緊張が高い場所を発見するでしょう。そこの身体の部位は圧縮がかかっていて、筋肉は硬く硬直し、骨自体もしなやかさを失っているはず。いきなり強い刺激をボールで身体に与えると、筋肉や組織がボールの侵入を許さずにはじき返されてしまいます。そのため、ボールをローリングしていく際に筋肉や結合組織などのレイヤー(層)を意識してボールを沈めていくのです。

一見、フィジカルなことだけに特化しているように見えるYamuna®のワークですが、身体のみでなく「心」や「精神」までも解放することが可能なワークです。

ヤムナ ゼイクは、今までの人生の緊張や実生活での記憶(怪我や突発的な事故による印象など)が肉体の深部に残っていると考え、それらを、まるでうろこを剥がすように、ひとつひとつ丁寧に解放するようにと教えます。実際にYamuna®のトレーニングやセッションを受けている最中や受講後に、「ヒーリングクライシス」として肉体の中に眠っていたネガティブな感情が湧き、浄化され消えていくという体験をする人も多くいます。

身体の中で空間が欠落することにより、制限、痛み、不快感は、肉体のみならず心や精神にも暗い影を落とします。身体の空間を感じて解放することで、僕たちの身体、心、精神、は深いリリース(解放感)を得ることができるでしょう。

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Makoto先生がヨガフェスタ横浜2016に出演!
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みんなでクラスを受けに行こう♪ 詳細&チケットの購入はhttp://www.yogafest.jp/2016/wp/?p=21640
2016年9月17日(土)16:30-18:30 
『YogaのためのYamuna®:肺まわりを緩めて後屈のポーズに挑戦する』

ヨガフェスタ横浜 2016

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