Makotoのオフィシャルブログ

僕達の損なわれている身体の空間はどの様にひらかれいくのか?

2016/07/26

カテゴリ: Makotoのオフィシャルブログ, ヤムナ, 言葉からのインスピレーション

「身体は自然の摂理に沿った理性を持っている。」(The body has a natural logic and order.)
ヤムナ ゼイク(ヨガ指導者、ヤムナ®創設者)

ヨガの指導者になることを決意し、参加した指導者育成コースで初めて人体の解剖学に触れて、僕達の身体には直線的部位はなく、緩やかな曲線で描かれている部位ばかりであるのだなと感嘆したのを昨日のように思い出します。

人間の身体を正面から観察してみると身体はまっすぐに見えるかもしれないですが、横から観察してみる、または人体の骨格模型を見てみると、背骨は緩やかなS字のカーブを描いているのがわかりますね。これを解剖学では「生理的湾曲」と呼ばれています。さらに詳しく観察してみると、首にあたる頸は身体の喉側にカーブ(前湾)し、肋骨に繋がる背骨は背中側にカーブ(後湾)、腰にあたる背骨はお腹側にカーブ(前湾)を描き、仙骨、尾骨は背中側にカーブ(後湾)しているように、身体の前後は美しい曲線をしています。

けれども、胎児はお母さんのお腹、羊水の中でまん丸く存在しています。つまり、背骨全体は後湾の状態です。赤ちゃんが生まれてから成長し首が座ることで首の前湾が形成され、ハイハイして歩くようになり立ちあがるようになると腰の前湾が形成されて、背骨全体がS字の曲線を描く様になります。

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僕達の身体の中心である背骨は重力や自重を支える衝撃から身を守るようにと、この美しい曲線を神様がデザインされました。しかし、この計算し尽くされた背骨のバネのような構造をもっても、重量からの圧力や自重を支える衝撃から身体の平衡さを保つのは困難ですよね。体重のかけ方など身体の癖や姿勢のパターンにより、常に僕達の身体はアンバランスな状態下に置かれています。そして、過剰で様々な外側からの刺激によって、マインドが反応すると僕達の呼吸や筋肉にその刺激がダイレクトに伝わり、筋肉が萎縮することで関節の可動域は狭まり、身体の空間が失われていってしまいます。また、内蔵は下垂したり、慢性的に圧迫されることで、身体の循環システムにも滞りが生じてしまいます。

身体を使ったヨガ(ハタヨガ)の実践と特殊で専用のボールを用いた「ヤムナ®」の実践は、この損なわれた身体の空間を取り戻します。

どうやら、僕達は360度立体的に身体を感じたり、意識したりするのがなかなか難しいようです。なので、ヨガのポーズを練習していても2次元のまるで絵画のようにしか身体や空間を捉え、感じとることしかできないのではないでしょうか?
例えば、ヴィラバドラーサI(戦士のポーズI)のポーズを練習している時に、身体の前側の足はしっかりと踏み込めているのに、後ろ足はおろそかになり、また下半身はポーズにしっかりと取り組めていても、上半身は腰を過剰に反らしてしまいがちですよね。

身体の意識や感覚を育むのに、ハタヨガから生まれたボディワーク「ヤムナ®」のメソッドが有効です。
僕がヤムナ®のテクニックを用いてクライアントにセッションをしている時に、外からの観察ではわからなかったことが、肉体という物質にヤムナ®の特殊な球体が入り込むことによって、リードしている僕にも、受け手のクライアントにも、筋骨格的なハッキリとした感覚や、さらに微細なエネルギー的感覚で、その人の身体の空間が狭められていた事実に気づくことがあります。

ハタヨガのひとつの目的として、この損なわた空間を取り戻すということがあります。そしてその損なわれた空間がどの様にひらかれていくのか?その道程をつぶさに見ていくことに興味があります。

そしてヤムナ®の創設者でもあるヤムナ ゼイクは、身体に働きかける時に、身体の持つ自然に寄り添うべく、身体の摂理に合わせて然るべき順序をだとることで、身体は理性を取り戻し、空間がひらかれていくのだと教えます。

また、身体がひらかれた、その時にはマインドにどの様に影響するのか?を目撃したいです。さらに、僕自身や他者の体験を通じてその目撃する意識が続いたその先の世界を見ていきたいなと思います。

まだまだ、身体と心という小宇宙に対する興味は尽きそうにありません。

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Makoto先生がヨガフェスタ横浜2016に出演!
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みんなでクラスを受けに行こう♪ 詳細&チケットの購入はhttp://www.yogafest.jp/2016/wp/?p=21640
2016年9月17日(土)16:30-18:30 
『YogaのためのYamuna®:肺まわりを緩めて後屈のポーズに挑戦する』

ヨガフェスタ横浜 2016

アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ 「星の王子様」

2016/06/24

カテゴリ: Makotoのオフィシャルブログ, ヨガを感じる本を読む

誕生日を間近に控えていた休日に、大好きな作家さんのエッセイが発売されていたので一気に読み進んでいました。自分らしく、やりたいことにチャレンジして好きなことを仕事にするがテーマの書籍です。その本の言葉に「見える世界と見えない世界を繋ぐ」そんな言葉が自分に入ってきて、「大切なものは目に見えない」という言葉がインスピレーションのように浮かんできました。その言葉が何の本だったかしばらく考えていたら「星の王子様」だとひらめきました。アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリによる有名な童話ですが読んだことがなかったので、不思議なインスピレーションを経験した自分への誕生日プレゼントとして「星の王子様」を贈りました。

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物語は、砂漠に不時着した飛行機のパイロットである「僕」が、遠い他の惑星から来た少年の王子様と出会い、飛行士が王子様との思い出を語るという神秘的なお話です。

星の王子様は小さな自分の星で一本のバラを育て愛でていました。王子様の愛情をバラは上手く受け取ることができずに傲慢な態度を続け、そして王子様とバラは仲たがいをしています。王子様とバラはお互いに自己中心的な感情にとらわれていたことで、お互いに傷つけあってしまったことを悟ります。そして他の星々を訪ねる旅に出ることにしたのです。

それぞれの星では、さまざまな執着にとらわれている大人たちと出会い、七つ目に訪れる星として地球に降り立ちます。地球では砂漠でキツネに出会い、本当の絆を深めていきます。この哲学者のようなキツネに「ものごとの本質」を教わります。その本質を王子様がキツネと別れ際に秘密として教えてもらいます。
「心で感じてみなければ良く見えてこない。大切なものは目に見えない。」
そして「僕」と王子様が砂漠の中で水を求め、井戸を探しに行きます。二人が共に歩いている中で、
「星があんに美しいのは目に見えない花が一つあるからだよ。」
「砂漠が美しいのはどこかに井戸を隠しているからだよ。」
と王子様はつぶやきます。

目に見えないものを見る力はどうしたら手にはいるのでしょうか?常日頃どのように世界を見るか?の質が問われそうです。心の在り方によって世界は全く違って見えます。きっと全ては心によって変わるのでしょう。

ヨガでは心を扱い、心をある方向性に定めて納めることに焦点を定めます。「心で感じて良く見る」とはヨガの目指すところですね。しかしその肝心な心が曇り濁ってしまっていたらどうなのでしょうか?心は持っている能力を発揮できずに外側や条件でしか見ることができなくなり、かつての王子様と一輪のバラのように自己を中心に据えるものの見方しかできなくなってしまいます。

ヨガでは私たちの心はいくつかの役割を担うパートに分けて構成されると考えます。心を構成する要素は感情、自我、知性、記憶です。そして感情は私達の五感と密接に繋がり、身体とは相関関係にあります。またヨガでは、心を曇らせ濁らせる原因に、無意識下の反応パターンである潜在意識を挙げています。この潜在意識は感情や自我の裏側に潜んでいます。「なりたい自分になる」ために、ヨガではアーサナや瞑想の実践を通じて心を磨き、さらに潜在意識を浄化するために思考や癖に気づき方向性を定めて繰り返し呼吸法や瞑想をするのです。

星の王子様のラストシーンでは、王子様が自分の星に置いてきたバラのかけがえのない大切さに気づき、バラに対して責任があると自分の星に帰還しようとします。重すぎる身体のままでは帰れない、古い皮を脱ぎ捨てるようなものだとして、あえて蛇に噛まれて倒れるという選択をします。翌日には王子様の肉体はそこにはなく、自分の星に戻れたことが暗示されています。王子様は自分の星から地球を含む七つの他の小惑星を旅して最後は肉体を離れて自分の星に戻っていきます。

肉体とは私達の魂を宿すための仮の住まいであり、私達の魂は転生を繰り返します。七つの惑星を旅することが七つの人生を転生しながら旅したとも考えられます。そして最後に肉体を離れて自分の星に戻ったということは、意識体となって転生を終えたとも考えられますね。作者のサン=テグジュペリが東洋の思想に精通し傾倒していたかは定かでではありませんが、「星の王子様」に散りばめられているメッセージには、ヨガと通じるものがたくさん発見することができました。

大切な目に見えないものを見えるように心を磨く術を伝えていこう、それを全うしようと決心する誕生日となりました。

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What is yoga?

2016/05/29

カテゴリ: Makotoのオフィシャルブログ, 自己探求

空前のヨガブームがひと段落を経て、人々はヨガによってたくさんの恩恵を感じている一方で、もっとヨガの本質的な部分を知りたいと思われている人々が増えてきました。もしかしたら、ブームの最中よりもヨガの実践をしている人の数は多くはないのかもしれませんが、もっとヨガを学びたいと真剣に取り組んでいる人々が増えているようです。

10人いたらその10人がヨガに求めているものはさまざま。一般的にヨガとはどんなものなのでしょうか?多くの人にとってヨガとは、エクササイズ、健康法、美容法、と捉えられていることが多いでしょう。僕も身体と健康への興味、関心からヨガの実践を始めたうちの一人です。そして、あなたにとってヨガとは何なのでしょうか?今まさに、ヨガに興味があり実践している人にとってヨガとは、自分の心を鎮めるもの、心身のバランスを取るもの、自分を中庸へと導くものとして捉え、何らかの形でその方の精神性に関わるものと思われているようです。

また何の目的でアーサナ(ポーズ)の練習を行うのでしょうか?ヨガインストラクターを育成する講師という立場から、「柔軟性がないとヨガインストラクターにはなれないのでは?」と多くの方から質問を受けます。果たしてアーサナとは柔軟性やポーズの外見的完成度を求めるものなのでしょうか?

それをヨガ哲学から紐解いてみたいと思います。

私たちがヨガ哲学とよんでいる哲学体系の大元は、ヴェーダと呼ばれる書物にその原型を見ることができます。ヴェーダは古代のインドで複数の聖者または賢者の霊感による啓示を編纂したと言われるインド最古の文献であり、ヴェーダというサンスクリット語の意味は「知識」です。これは人々の望みを叶えるため、人々を本質的な幸せに導くための知識です。僕たち人間の願いごとを叶えるためにヴェーダは現れたと言われています。

ヴェーダでは馬車のイメージを人間になぞらえています。馬車は、馬、車体、手綱、御者、車主で構成されています。このユニットのそれぞれが、私たち自身のいずれかに相当すると教えています。馬は人の感覚を司る器官であり、五感を示します。車体は人の筋、骨格からなる肉体です。手綱は思考や感情であり、御者は知性や理性と相応し、馬車の座席に乗っている人物が本当の自分(真我・魂)であると言われています。

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人間の五感は高性能で、私たちの好きや嫌いという心の傾向に合わせて様々な情報を集めてきます。その情報は思考に伝えられ欲求として現れます。馬車のイメージでいうと、馬すなわち感覚器官と、手綱すなわち思考や感情は直接的に繋がっていますね。そして、何かしらの欲求が芽生えれば、人は何らかの行動にでます。その一連の流れの中で、常に知性や理性が介在しているかが重要です。御者すなわち知性や理性は、手綱すなわち思考や感情を握り、コントロールをしています。つまりは、思考や感情の段階で知性や理性が働いている必要がありますし、行動するときにも、その結果が望むものであっても、望まないものであってもやはりそこには、知性や理性の介在か必須となります。

ヴェーダには、こう続きます。
僕たちが人生という旅をするときに、馬車のそれぞれのユニットの健全や健康が保たれている必要があります。そして、その健全さや健康というものは一朝一夕にはならず、絶え間ない努力が必要であり、注意深く自分自身の心と身体の面倒を見る必要があります。要は、各ユニットが健康や健全を保つには、それぞれの関連性における調和が保たれる必要がありますし、ユニット全体の調和がきちんとバランスされているはずです。

肉体の健康を保つにはアーサナは有効的です。感覚器官や思考器官の健全さを保つには、アーサナや呼吸法、瞑想の練習が有効的です。そして、私たちの精神の一部とみなすことができる知性や理性を育むのにも、これらのアーサナ、呼吸法、瞑想の実践がとても役に立ちます。また、知性や理性とは私たちの精神性を構成するための必要な要素です。精神性とはつまり、私たちの直感やスピリチュアリティ(霊性)なのです。

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私たちは人生という旅の最中、誰しもが、なりたい自分やあり方を探し、より良く生きたいと願っています。素晴らしい旅を体験にするためには、知性や理性を通じて、私たちの精神性、スピリチュアリティを育むことが重要であることが、馬車の構成を見れば一目瞭然ですね。そしてヴェーダが設定している旅の究極のゴールとは、無知から脱して、本質的な自己の存在を知ることに尽きます。馬車の車主の存在に気づくことが、条件付けに左右されることのない本質的な幸せであるとしています。そうすることで僕たちは車主である本当の自分が意図していた、この旅においての目的が明確になります。

旅のゴールが壮大なので、何度も旅に出る必要があるかもしれませんね。けれどもこの旅を最高のものにするために、すべてのヨガの実践は、すべてに役に立つのです。自分自身や世界と繋がるためにすべきでないこと、そして自分や世界との繋がりを確かにするために自己浄化としてすべきことが明確になったなら、アーサナや呼吸法の練習、そして毎日の瞑想の時間をどうぞ確保してください。

冒頭で、何のためにアーサナの練習をするのかと疑問を投げかけました。ひとつは僕らの筋・骨格系からなる肉体の健康を維持することがあげられるかもしれませんね。しかしそれだけではなく、アーサナの練習において、肉体が知性を持ち始めそれが心に反映すると考えます。また、知覚や意識のない、あるいは乏しい部位に、知覚や意識がもたらされることで無意識的反応から抜け出し、意識的な反応をすることができ、それもまた、人々の心的能力の向上に繋がると考えます。それが更に、呼吸法や瞑想の実践を通じて確固たるものとして形成され、知性や理性の輝きが増し、僕たちのスピリチュアリティが高まります。つまり、アーサナの練習はスピリチュアリティを高めるものなのです。

スピリチュアルな世界では、僕たち人類は、物質中心で利己主義な暗黒の闘争の時代から、今まさに精神的なものに重きが置かれ利他主義な調和の時代へ変換しつつあると言われています。人々の意識が変わり始めているこの瞬間に、ヨガが最大限に有効活用される時代にあります。皆さんとヨガのメッセージを人々に伝えられることが大きな喜びです。

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「ものの見方」を育む

2016/05/10

カテゴリ: Makotoのオフィシャルブログ, 自己探求

ヨガの練習を通じて多くの人が身体的効果効用を感じていますね。また、身体のみならず心の面での作用や効果を感じているが故に、ここまで多くの人にヨガが支持されるのでしょう。ヨガというと身体を意識的に動かしていくことで何らかの効果を得るものと認識している人が多いと思いますが、それはヨガの大きな景色の一部に過ぎません。

ヨガの経典である「ヨガ・スートラ」という古い文献では、冒頭にヨガのコンセプトを一言で明確に示しています。ヨガ・スートラ1章2節に、

「ヨガとは心の働きを止滅させるものである」

という本質が述べられています。

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五感が集めた様々な情報に僕たちの心は翻弄され、そしてネガティブな感情によって心は漂流してしまいますね。感情や考え、思いを止めることではなく、ヨガ・スートラからのメッセージは、その一連の流れを変えること、つまり僕たちがインプットしてしまっている癖に気づき、心の反応パターンを変えることではないでしょうか?

ある出来事が目の前で展開された時に、心がどの様に動くか注意深く観察し、そして、その自動的な反応パターンをしっかりした意図を持って変えていくことができたとしたら、心は純質(サットヴァ)と結びつき、僕たちは穏やかさと静けさの中に留まることができるのでしょう。

ヨガポーズや呼吸法、瞑想の体験を通じて僕たちは、ものの見方の質を向上させることで、激質(ラジャス)や鈍質(タマス)から離れ、純質(サットヴァ)と繋がることができるのではないでしょうか?

今回のタイトルである「ものの見方」の本質を問う映画を観たことがあります。吉田修一という小説家の作品が原作となる「悪人」という映画です。原作も読んでいませんでしたし、正直なところ映画を観終わった後は「よくわからない…」でした。映画のテーマやメッセージを鑑賞直後は理解することができなかったのです。しかし、映画の余韻が波紋のように僕の中に浸透してきて、徐々にこの映画に託されていたメッセージを理解できた気がします。

この映画のテーマは人間に潜む「善」と「悪」という二極を扱い、人間の本質は「善」と「悪」であると定義し、コミュニケーション不全がそこかしこで描かれています。ヨガの経典では優しさや慈悲という意識を本来僕たちは持ち合わせ、すべてにおいて調和が保たれている状態を誰しもが求めているのだと教えます。映画では主人公をはじめ主要な登場人物の「善」と「悪」が描かれ、その人物がまず自分自身と不調和な状態であること、また登場人物同士のコミュニケーション不全が人間同士の不調和な関係として表現されていました。その不調和の根源が「ものの見方の質の低さからくる誤解」であると思うのです。

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ヨガの世界観では、僕たちにはそれぞれ魂が意図し用意した使命があるとされています。それ以前に僕たち共通の課題が、僕たちのものの見方の質を高めることなのではないでしょうか?

目の前に展開される事象をどのように見て、どう扱うのか?

感覚器官である五感が集めた情報をどの様に扱い、またその情報が感情として現れる前にその感情をどの様に捉え、処理し、表現するのか?

その一連の流れの質が問われているのだと思います。ヨガで身体の外内にしっかりと意識を向けることで観察力が磨かれ、瞑想を繰り返し、繰り返し行うことで僕たちの心の動きは穏やかさと静けさを取り戻すことでしょう。

さあ、あなたは、あなたの眼前に繰り広げられるこの世界を、どの様に見ていますか?

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